美術展は個展に限る。グループ展となると企画者のコンセプトに関心を抱かない限り、鑑賞しようがない。作家個人の現在の技量を披露する個展はプロ、アマ問わず「技量」を前提に楽しむことができ、鑑賞する私の知識の範囲内で〝美術史〟における作家の位置のようなものが見えてくるからだ。美術史と書いたが、世に知られる作家と違い、地域の先生や美術団体の力の範囲内に限っての歴史であって、それはそれで楽しい。
グループ展となると、残念ながら企画力の無さが露呈されたケースが多い。単なるお友達同士の発表会、画廊代の節約や客の譲り合いなどといった美術とは関係のない俗的動機が背景にあり、鑑賞者にとって、どう見たらいいのか、鑑賞しようがないのである。
分かりやすく言えば、公民館の絵画教室の発表会。意見を求められ、挙句、「皆さん、自然風景を描かれて、環境問題に関心のある方ばかりですね」などと意味不明の感想を一言述べたりする。その展示作品は年間テーマ「自然を描こう」に従ってスケッチ旅行をして描いたもの。決して講座生一人ひとりの賛辞にはならず、指導者のテーマ設定をチョッピリ褒めたたえたことにはなる。
ビエンナーレなど海外で開催される国際展の場合、それこそ企画力の面白さだ。企画テーマに沿ってどれだけ人種、民族、出身国、美術史の視点で作品を読み解き、楽しむことができるか、そのテーマも現代美術の最前線であれば刺激も強い。
で、そんな美術展には、私などそうそうめぐり合わせることはない。結果、身近な美術館やギャラリーでの個展で、作家個人の営為、技量、作品の変化や洗練、突き詰めの度合いを楽しむことになる。これはこれで十分に楽しめるのだ。