高橋和巳の「わが解体」を読んだ。同時代を学生として生きた者として、活動家たちがこんなことを考え、行動していたのかと改めて当時の自身の不勉強を思った。
小説によると、当時、彼は京都大の助教授だったようだ。教授会の闘争学生たちへの声明文をめぐって、彼は学生たちの大学解体論への学者としての回答、時代に生きる学者の在り方を声明文に盛り込む意図を持つのだが、教授会の大勢は言わばその場しのぎの対応だ。学生たちの求めに応じるだけでなく、さらに学問に殉ずる者としての現下の姿勢について彼は、学生たちに真摯に応じようとする.。だが、結局は同僚たちの作為的な声明文作りに怒りながらも、大勢に押し切られる。
教授たちは事態を、民主化の手続きの問題に矮小化してしまったようだ。この観点からすれば、学生の行動は立場、身分を逸脱した行動であり、教授会の全員の同意をもっての対応は、おのずと民主主義の最低限度の実行に甘んじることになる。教授会はことの本質をそらしている。大学とは教授とは学生とは…。学生たちの問いかけにまともに応じることができない教授たちに彼は怒る。
目を現在に戻して、アメフト問題で揺れる日本大の事態に転じてみよう。
やっと、マスコミもかつての日大闘争をチラチラ取り上げるようになったが、教授たちは時代を超えて相変わらずのようだ。
教職員組合が日大側に人事刷新の申し入れをしたという。その日、マスコミからマイクを向けられた労組幹部の一人は、「私たちもこの体制に何もしないままにきた」と殊勝に反省の弁をひとこと漏らし、取材者に「なぜ、できなかったのか?」と追質問され、返答できなかった。質問者の「圧力が強すぎたのか?」との、助け舟のような質問に「そおとらえてもらって結構」と応じたのだが……。
日大闘争とは何だったかーと我が大学の近過去を考えた教授たちは何人いただろう。田中・内田独裁体制の恩恵に浴しながら権威の庇護の下、生きてきた教職員たち。その独裁が揺らぎ、自組織にも注目が向き始めると、今度は批判派を演じる。
さて、学生諸君。もう一度、日大闘争が必要のようだ。当時から何も解決せず変わらず、新しい体制が生まれてもいないのだ。
だが、ことは簡単にはいかないようだ。当時、ヘルメットをかぶり、タオルを口に巻き、ゲバ棒をもっていた活動家たち、一方で制圧に回った体育会系学生たち。いずれも彼らは現学園「体制」、現企業「体制」の中枢で現日本の社会「体制」を作り支えているのではないか? 筋金入りの体制派、経験済みの彼らである。手ごわい。