カズオ・イシグロの 「浮世の画家」を読んでいて、これは谷崎潤一郎の作品だったか?などと一瞬、勘違いが生まれた。谷崎の「蓼食う虫」を読了後、すぐに「浮世ー」を読み始め、そのテーマ、物語の設定が似通っていたためか。混乱の世界をさまよった。

 なぜだろう。どちらの作品も日本の伝統文化を問う物語だ。「浮世ー」は戦後民主化と伝統に根差した生き方の軋轢にとまどう日本画家。「蓼食う虫」は戦後もどっぷりと日本の伝統文化を楽しむ遊間老人。「浮世」では戦後民主化の選挙で夫婦が違う候補者に投票することに怒り、「蓼食う虫」では若い妾を囲った遊間老人が文楽三昧の生活。いずれも日本伝統文化の本質を問いかける。さすがに谷崎の流れるような文章に対して、イシグロの翻訳はたどたどしい感はあるが。

 「蓼食う虫」は谷崎の文化論「陰翳礼賛」を小説化した作品ともいわれ、月影の下に暮らす日本人の生活文化を照らし出している。一方、「浮世」はイシグロの暮す英国の伝統を照らし出す方策として日本文化をモチーフとしたようだ。イシグロが読んだ日本文学は川端、谷崎、三島ぐらいと伝えられていた。イシグロは谷崎の「蓼食う虫」を意識して「浮世」を書いたのではないか?などと勘ぐってしまう。

 両作品を読んで随分になり、感銘も薄まってはいるが、今もこんな印象が残影として心に残っている。