友達として見せる顔と、彼女になってから見せる顔。
そのギャップはあまりに劇的で、魅力的で、私の中に眠っていた「男脳」を一気に、そして強力に育て上げた。
彼女の女性らしく、愛おしい瞬間を知れば知るほど、「今までの私と付き合ってきた男たちは一体何が楽しかったのだろう?」と思ってしまうのだ。
少なからず若い頃の私にも「女脳」全開だった時期はあったけれど、今となってはその彼らにさえ、謝りたくなる気持ちでいっぱいだ。笑
みんな、付き合っている時は、こんなに濃密で、誰にも邪魔されたくない二人だけの時間を過ごしているのかな。
私も恋愛はそれなりに経験してきたつもりだけど、彼女が私にしか見せない姿を見せてくれる時間は、これまでの人生で味わったことのない最高の幸せだった。
お互いに家庭があり、同性同士で、先が見えない不安定さ。
そんな複雑な要素が絡み合っているからなのか、それとも世の中の恋人たちはみんな、これほど濃密な時間を楽しんでいるのかはわからない。
けれど、今まで「夜の時間」にそれほど思い入れのなかった私にとって、それは驚くべき発見だった。
全身で愛されていることが伝わり、求められていることがわかり、独占欲が満たされる。
「この時間があるから、どんなに辛いことがあっても続けられる」
そんな風に、未来に繋がっていくものなのだとさえ思った。
いわゆる「床上手」がモテる理由は、今なら理屈抜きでわかる。
私は決してそうではないけれど、なぜか好かれることが多かった。これまでは「それはそれ、これはこれなんだなあ」と思っていたけれど、絶対に違う。
自分のすべてを預けてくれる人、受け入れてくれる人は、それだけで存在価値が何倍にも、何十倍にも跳ね上がる。
身体全身で相手を好きだからこそ、すべてを受け入れたくなる時間。
だからこそ思う。
女性性優位な人は、好きな人に対して「すべてを預ける感覚」を素直に表現できたら、それだけで何もかもうまくいくのではないか、と。
そんな姿を見せられたら、そりゃあ「怒らせたくない」「何があっても大事にしたい」という守りたい意欲が、枯れることなく湧いてくるのではないだろうか。
最近は、男性の中にも女性の中にも、それぞれ男性性と女性性が共存しているという考え方が浸透してきた。
私は、彼女の「女性性」が全開で甘えてくる姿を受け止めた時、「この人のためならどんなことだって乗り越えられる」と本気で思った。
全身を預けてくれる感覚。
私という存在を丸ごと受け入れてくれる感覚。
これを知ってしまったら、もう何も怖くない。
「生きていてよかった」と、心の底から感じられる。
この幸せな感覚は、もうこの時以外では二度と感じられないのかもしれない、とさえ思う。
言葉のいらない、存在そのものの全肯定。
だからこそ、失えば何もない感覚に陥ってしまうのだけどね。


