総合店 続編 | 猫好きのブログ

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資格試験とその応用

 日本の総合スーパーの商品レベルは低いという声がある。

 

 昔書かれた本を読むと、イトーヨーカドーを絶賛していた経営評論家が圧倒的だったのに今では完全にけなされている。人は今の姿を見て評価をするようだ。

 

 でもヨーカドーお得意の単品管理は当時も今も行われているし、イオン(旧ジャスコ)お得意のショッピングセンター開発はジャスコがダイエーやヨーカドーの影に隠れていた時から進められていた。つまり評論家の評価なんて所詮は現状追認に過ぎないということだ。

 

 話を戻そう。イオンは総合業態でありながら、専門店の育成を古くからやっていた。現在イオンモールの専門店街に入っているテナントにはイオン系列の企業が多く含まれている。

 

 総合スーパーのレベルが低いのなら、自前で専門店を育成できるはずがない。何故、イオンはそれをやろうとしたのか?

 

 恐らくショッピングセンター開発のためであろう。総合スーパーの頭打ちは1980年頃には始まっていた。消費の成熟化で大量生産販売体制が曲がり角を迎えていたのだ。

 

 画一化された商品を低価格で大量販売することで成長してきた総合スーパーは転換を余儀なくされていた。その一つがショッピングセンター開発だ。

 

 ダイエーは小売を越えた多角化路線、ヨーカドーは商品開発・単品管理の精緻化、ジャスコはショッピングセンター化と異なる道を歩いた。

 

 ショッピングセンターといっても当時の小売業チエーン店は規模が小さく、テナントを埋めるには不十分であった。そこでイオンは自前で自社の施設に入れる専門店の開発を行った。この頃は未だ総合スーパーの集客力は健在で成長を続けた。

 

 ところが1995年にイトーヨーカドーの成長が止まり、ダイエーの経営危機が言われるようになった。その後、総合スーパーは次々と破綻。最終的にヨーカドーとイオンの2強体制となった。

 

 その後、郊外大型ショッピングセンターの時代が明らかになると、ショッピングセンター開発に遅れを取ったヨーカドーの失速が目立ってきた。結局、波に乗れたのはイオンの方であった。

 

 そのイオンだって最初からここまで上手く行くとは思っていなかっただろう。結果が出るまで長い年月が必要だし、偶然タイミングに合ったことだって考えられる。

 

 結果論だが、イオンが育てた専門店企業はショッピングセンターの増加と共に売上を伸ばしていった。

 

 イオンモールと言えども専門店がなければ、総合スーパーだけで集客力が十分とは言えない。直営の食品と実用衣料売場だけでは、遠くから吸引できないはずだ。専門店の集合体の集客力のお陰であろう。専門店街は系列会社だけでなく、他の有力企業も入っているので、益々強力になっている。