芸術と欠落 | 東京夜時

東京夜時

宇都宮秀男によるコラム。月木更新。

仕事で東京藝大に初めて行った。

上野キャンパスにロケ車を停めると、すぐそばにあった敷地内の建物が鯉の住む池に囲まれていた。

あぁ、これが藝大か。

今まで縁もゆかりもなかった場所だが、芸術を志す人たちの棲家だと思うと、
何となく気持ちが安らいだ。

ロケ地は比較的新しい建物であったが、明らかに価値のありそうな古い仏像が無造作に置かれ、専門的な機械で解析を進めていた。

藝大お墨付きの解析結果というものは、きっと、大きな力を持つんだろうなと思った。

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詳しくはロケの内容を書けないが、創造や芸術について考えさせられる仕事だった。

昔、グラフィックデザイナーの友人、伊藤さんが言っていたことを覚えている。

「欠落感は創造にとって欠かせない」

そうかもしれない、と思ったことがある。

学生時代、日記のようなものを毎日書いていた。
調子が良くないときは書くことで自分を保っているようなところがあった。
反対に調子が良い時は書きたいモチベーションが薄れた。
日記の空白期間が、調子の良し悪しのバロメーターになっていた。

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僕の大好きな、はとこは詩の才能がある。

パリや東京で展示されることもある。

今月の夏季休暇の際、熊本に行った時に彼と一緒に遊んだとき、
詩を書くキッカケを尋ねると、自分のために書いていることが分かった。

誰かに憧れたわけでもなく、誰かに認められたいわけでもなく、
自分のために書くことで自分の生を受け止めているような気がした。