地震 | 東京プリン 牧野隆志オフィシャルブログ「ガンと感謝と東京プリン ステージⅣからのスタート」Powered by Ameba

地震

3月11日金曜日。

僕は仙台にいました。

いつもは打ち合わせのため金曜日の夕方に仙台に入るのですが
その週はたまたま取材があり木曜日から仙台に行っておりました。

木曜日の取材が終わり金曜日は夕方まで何もなし。

一人でプラッと松島か塩竈でも行こうかなと思っていたら
番組のディレクターが「グルメコロシアムっていうイベントがあるんですが行きません?」と
誘われたので行くことにした。

そこは宮城野区にあって仙台港のすぐ近く。

お昼前に着き、車を駐車場に停めてラーメンとか
スイーツとかを食べ歩いた。
とりあえず全部見回ったし、寝不足気味でもあったので
早めにホテルに帰って打ち合わせの時間まで仮眠しようと思い
駐車場を出て、2時半にホテルに戻る。

部屋の電気を消して寝入ったかなと思った瞬間、
あの大地震が襲ってきた。

ゴーーーーッという音とともに
ベッドが前後に大きく移動する形で揺れ動き
冷蔵庫が飛び出し、テレビが倒れ、
部屋が9階だったこともあり
ホテル自体が倒壊する危険を感じました。

最初の揺れを感じた時も相当でしたが
怖かったのは2回目の揺れ。

普通、地震って経験上、最初の大きな揺れが治まると
次の揺れはそれよりも小さいもんだが
今回は2回目の揺れの方がひどかった。

この恐怖は相当なもので
2回目の大きな揺れが収まった後も
もっと大きいのが来るんじゃないかと思い、
暫くは外にも出れなかった。

呆然としながら部屋の写真を撮り
ホテルの窓から下を見ると人々が道路に避難していたので
とりあえず荷物をまとめて階段で下りました。

2日ほど、避難して車で東京に戻りましたが、
テレビの画面を見て身体が凍りつきました。

地震のほんの1時間前にラーメンを食べて
車を置いていた駐車場が津波に襲われていた。

もし睡眠不足でなくて元気いっぱいで
まだあの現場にいたら。

もっと考えれば、ディレクターに誘われず
一人で松島か塩竈に行っていたら。


そういえば阪神淡路大震災の時も
高速道路が分断されたところを1時間前に通行してた。
で、家に帰って寝入りばなに地震が襲ってきた。

ガンになってから「死」と向き合ってきて
自分なりにある程度の覚悟を決めたつもりだったけど
地震で揺れている間、やっぱり怖かった。

でも今回の事でますます気持ちを固めた事がある。

ガンになって毎日毎日を大切に生きよう、悔いのない毎日を過ごそうと
思ってきたが、まだまだ充分ではない。

今回の震災で亡くなった方々の
本来ならばまだまだ残っていた人生の事を想うと
なんとなく過ごす無駄な日は1日たりともあってはならないと思った。


今まで以上に1日を一生懸命生きてやる。



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