No.11 2005年6月14日
| 明日 JAL797 で飛ぶ、今度は群馬と東京のクライエントだ。 |
| 群馬のクライエン トは結婚式を挙げて、19日に帰国する。 |
東京のクライエントはまずお見合いをして2回又は3回訪中して |
| 結婚式を挙げる予定だ。 |
16日9時に久しぶりに瀋陽の潘さんとマリオットで会い |
30歳と22歳の可愛い初婚のお嬢さんと面接をする予定だ。 乞う!ご期待。 |
19日は大連の日本料理店『日光』のママ張さんの友人 大連外国語学院生と |
再度 面接する。 |
東京のクライエントには可愛いお嬢さんが見つかることだろう。 |
| 帰国後報告します。 |
No.10 2005年6月11日
| それでは、西遊記 ( 旅行体験記 ) の連載を始めます。 | ||
| 周ちゃんのかわいい笑顔を思いながらがんばって書きます。(九州男子・34歳) | ||
4月29日 ( 金 ) |
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| 丹東のホテルに到着するとほっとした。部屋に着いて電話が鳴ったので受話器 | ||
| をとると、宋社長が7時からお見合いをするので、1910号室に来てくださいと | ||
| 連絡があった。思わずバスルームで見出しなみをチェックして、部屋に行くと、 | ||
| 宋社長と石田会長以外の知らない人が10人ほどいたのでびっくり仰天した。 | ||
| もしか すると、このギャラリ-の中でお見合いするの?と思ったが、 | ||
| 間髪入れずに石田会長が豪快な司会で通訳と3人のお見合い相手と | ||
| その親族を紹介して、はい1人ずつ2 0分でどんどん変わりますよとひと言。 | ||
| 通訳をまじえての 2 0分は短いと思ったが、 1人目の周さんが | ||
| あまりにも可愛いので、見とれてしまって話の内容はどうでもよかった。 | ||
| 三人とのお見合いが終わって、1919号室に戻ると石田会長が豪快な口調で | ||
| 何人と付き合いますか、3人はダメです、2人はたいへんです、1人がいいですよ、 | ||
| 何とも言いがたい説得力がある。再度、1910号室に戻ると、周さんのお母さんと | ||
| おばさんが笑顔で迎えてくれたので、ほっとしました。簡単な挨拶を終えると、 | ||
| 石田会長が夕食を一緒に食べに行こうということで、4階の中華料理のテーブルに | ||
| 着席した。日本で食べる中華料理より、すごくおいしくて始めて見る料理もあって | ||
| 感動しましたが、周ちゃんが私の取皿におかずを次から次に取ってくれるので、 | ||
| と てもうれしかった。次第にお酒が進むと、石田会長が乾杯、乾杯と何回も言って、 | ||
| 場を盛り上げてくれるので、気配りを感じました。食事を終えると、23階のバーで | ||
| 通訳の李さんと周さんの3人でお茶を飲みながら、明日の朝食、デートコース等を | ||
| 雑談していると、石田会長がウィスキーの水割りを持って来てくれて乾杯。 | ||
| 今回 の旅では、石田会長が特に脳裏 ( 記憶 ) に残っています。 | ||
4月30日 ( 土 ) |
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| 今日は、朝6時に起きるつもりで、目覚ましをセット、時差のことを忘れて朝5時に | ||
| 起床した。朝7時半になると、周さんが部屋まで迎えに来て日本語でおはようと | ||
| ニコッと笑ってくれた。8時からの食事では、通訳の李さんを含めて日程について | ||
| 話ながら食事を楽しんだ。周さんはダイエットを気にして、果物を中心にパン1 切と | ||
| 牛乳1杯程度、○○さん(私)は、いっぱい食べるようにと、色々お皿に入れてくれた。 | ||
| 午前中、最初に公園の動物園を3人で散歩した。周さんの頼みで1時間程度、 | ||
| 2人きりになった。周さんは陽気で、頻繁に話しかけてくれるのですが、内容が | ||
| 分からないので身振り手振りと片言の中国語で何とか場をつないだ。 | ||
| 次に、鴨 緑江に架かる鉄橋を見学した風が強く、小雨が降ってきたので、 | ||
| ずっと手をつない だ状態で見学を終える。昼食は近くの台湾式しゃぶしゃぶだった。 | ||
| 新鮮な食材と秘 伝のたれが絶妙でとても、美味しかった。 | ||
| この時も、周さんは熱い海老の殻を剥いたり、果物を勧めてくれたりして | ||
| 気を遣っ てくれるので、ほんとにうれしく思いました。食事を終えると、 | ||
| 皆で船に乗って鴨 緑江を川下りしました。 | ||
| 遊覧を終えると、李さんと周さんの3人でタクシーで川岸をドライブして | ||
| 市内のCD店に行った。ここでは、周さんが“浪漫の桜”がお勧めと言って | ||
| プレゼントしてくれた。店を出るとのどが渇いたので、喫茶店はどうですかと言うと | ||
| 李さんがおしゃれなお店に連れて行ってくれた。お店のホットオレンジは、 | ||
| のどごしさわやかで疲れが吹き飛ぶような感じがした。 | ||
| 6時からは、Mさん の結婚披露宴に出席させてもらった。 | ||
| 石田会長の挨拶に続き来賓の挨拶の後に、アルコール50度の超辛口のお酒で | ||
| 乾杯して宴はにぎやかに進んでいった。 | ||
| 美味しい 料理、左に周さん、右に宋社長の両手に花で、人生最高の時間になった。 | ||
| 会長の信 念の強さ、パワー、男気には私も見習いたいと思った。 | ||
| 花嫁の王さんは、やさしそうな二重まぶたが印象的で、 | ||
| お2人の幸せと明るい未来をお祈り致します。 | ||
| ここで、宴を盛り上げるため、カラオケを歌うことになり、しばらくすると、 | ||
| 周さんがステージに上がって来たので、手をつないで歌を熱唱した。 | ||
| 履歴書では、周さんの体重 は50 kg となっていましたが、 | ||
抱きかかえて 3 回転して見ると意外と軽く感じた。 |
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| こうして、忘れられない1日が終わった。 | ||
5 月 1 日(日) |
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| 朝 7 時半、周さんが部屋に来て、落ち着いた黒色の洋服だったので、 | ||
| 思わず見入ってしまった。 | ||
| 朝ご飯を終えて部屋に戻ると、ご両親、祖父、おばさんがすでに待っていて、 | ||
| 李さんの通訳を交えて挨拶をした。この時ご両親に結納金とお土産を渡し、 | ||
| お母さんは満面の笑みで、お父さんは穏やかな表情でしたが、 | ||
| 周さんの真剣 な眼差しはとても大人ぽく感じられた。 | ||
| それから、周さんの自宅を訪問することになり、 | ||
| ここで初めて双子の妹さんと会 うことになりました。 | ||
| 双子の姉妹の話で盛り上がって、同じ日にいっしょに生まれたのに | ||
| 性格が反対なんですと、ご両親は話された。 | ||
| ご両親はお礼に何がいいですかと言われるので部屋の中に飾ってあった赤い紐 | ||
| を綺麗に円状に編んである飾り物を下さいと言った。 | ||
| 自宅訪問を終えると、鴨緑江の川沿いにある一番景色のいい個室で | ||
| 昼食を祖父、おばさん、周さんの家族で食べました。 | ||
| 祖父の挨拶では、遠い日本からはるばる丹東まで来て頂いたので、たくさん | ||
| 美味しい料理を食べてくださいと言われた。ここ丹東での中華料理は創意傑作、 | ||
| 新鮮豊富で「食は中国にあり」を実感、体験することが出来て感慨無量でした。 | ||
| しかし、私は狗年生れなので料理を残すのがもったいないと思うので、 | ||
| 牛みたいに胃 袋が 5 つあって食べ貯めが出来たらと思った次第です。 | ||
| 周さん一家との食事を終え ると、写真館で結婚記念写真を撮りに行きました。 | ||
| まず、お気に入りのドレス選び から始まって、周さんのお化粧の様子を見守った。 | ||
| 化粧をしなくても綺麗な周さんが、さらに輝きを増して、 | ||
| 思わず息を呑みこんだ。スタジオでの写真撮影では、いろいろなポーズを | ||
| とりましたが、体が触れ合う瞬間は胸がドキドキして、もう天にも昇る気持ちで、 | ||
| とても幸せでした。食後、ホテル最上階の回転バーでは、その日の出来事を | ||
| 周さんと話し合いました。無意識に周さんの唇を見ると保湿性の口紅を | ||
| 塗っているせいか 、 時折、月の光が反射してとても魅力的に感じられた。 | ||
| 李さんとは、次の日の日程を確認して、回転バーを後にした。 | ||
| 部屋で周さんと2人きりになると、キスのことが頭の中を駆け巡って | ||
| 落ち着かなかったので、最初に歯をきれい に磨いて、 | ||
| それとなく手を握って見つめたが、部屋でのチャンスはなかった。 | ||
| しかし、本当に心から大切に思う人に軽はずみにキスをしていいものかと | ||
| 自問自答したが、ロビーまで送る際に、 | ||
| エレベーターでの十数秒の待ち時間に、軽く頬にキスをしました。 | ||
これが、精一杯でした。その晩、夢の中では上手に出来ましたが・・・ |
||
| 5 月 2 日(月) | ||
| 朝6時に起床する。今日は大連に移動するための手荷物の整理をし、 | ||
| 朝ご飯を招待されている為に、周さんの自宅を訪問しました。 | ||
| 食事では、「いただきます」と家族全員で手を合わせて食べました。 | ||
| たくさんの餃子を作ってくれていて、李さんの説明では「上船餃子、下船麺」 | ||
| の意味で、旅の出発に餃子を食べて、帰り着くと、 | ||
| 麺類を食べると無事に旅を終えると聞きました。家族全員が私のことを | ||
| 心配してくれているので、本当にうれしく胸がいっぱいになりました。 | ||
| ここで私は縁起を担いで、18個も食べました。食事を終えると、別の洋服に | ||
| 着替えた周さんは、写真を撮ろうと言って部屋のあちこちで | ||
| ポ-ズをとりながら、妹さんにシャッタ-を押してもらいました。 | ||
| 11時頃に周さん宅を後に、タクシ-でホテルに帰る途中、交差点で | ||
| 自転車と衝突しました。運転手は急いで外に出てキズの確認をしてから | ||
| 自転車に文句をいい始めたので、私はケガをしていないか心配でしたが、 | ||
| しばらくすると元気よく自転車をこぎだしたのでほっとした。中国では、 | ||
| 自動車が優先なのは分かりますが、歩行者、自転車、バイクそれぞれの | ||
| ゆずりあいがないのにびっくりしましたが、道路を横断するアヒルにビビ-、 | ||
| クラクションを鳴らしても、少しもびっくりしないところは驚きでした。 | ||
| ホテルに戻ると、石田会長を含め全員で日本料理店に行って、うなぎ定食を | ||
| 食べました。食事を終えると、大連まで石田会長と出発することに | ||
| なりましたが、エレベ-タ-での短い待ち時間に | ||
| 周さんのほっぺにお別れのキスをしてロビ-に向かった。 | ||
| とうとう出発時間となり名残惜しい気持ちを抑えて車に乗り込んで、 | ||
| 周さんの姿が見えなくなるまで、手を振ってホテルを後にしました。 | ||
| 周さんの姿がまぶたの裏に残っていて、しばらく物思いにふけっていたところ、 | ||
| 運転手の携帯が鳴った。石田会長が電話を取ると、結婚記念写真が | ||
| 出来上がったみたいで、急遽、写真館へ引き返した。写真集を受け取って、 | ||
| 製本されたアルバムを見ては、思い出し笑いを浮かべながら退屈な | ||
| 移動時間を楽しんだ。相変わらず車の運転が荒いので、とても眠れる状態 | ||
| ではなかったが、石田会長はグォォーと熟睡されていた。 | ||
| よく寝る人は元気はつらつス-パ-マンの典型である。 | ||
| 移動時間中の風景で特に目に付くのが、農作業をしている人々であった。 | ||
| 広大な畑を人力で黙々と仕事に精を出している姿に感心し | ||
| 感動する途中、石田会長が「しょんべん」と言うと運転手が慌てて車を | ||
| 道路脇に止めたので、私も連れしょんをした。大連のホテルに到着すると、 | ||
| 呂さんが出迎えてくれてチェックインの手続きをしてくれました。 | ||
| 夕食は、大理石で造られた豪華な建物・大連1の万宝海鮮舫でした。 | ||
| 石田会長は「バブルだぁ」としきりに言われていた。大勢の人でにぎわう | ||
| テ-ブルの中で食事を楽しんだ。料理の内容は、ウニ・生カキ・うなぎ・ | ||
| 焼き飯・餃子・トゲトゲの黒い物体(ナマコ)・ス-プ・その他色々、 | ||
| とにかく食べきれない量だった。食事を終えると、次の日の朝が早いので | ||
| ホテルに帰って、身支度をして床についた。朝5時に、トントンとドアを | ||
| 叩く音で目が覚めて、石田会長と呂さんが来ました。それから、呂さんに | ||
| 大連空港まで送ってもらいました。呂さんにお礼を言って別れた後は、 | ||
| そつなく出国手続きを終えて、飛行機に乗り込んだら熟睡するのみでした。 | ||
| そして、福岡空港から自家用車で帰る途中、そばを買ってから自宅にたどり | ||
| 着いた。いつもより、味わいながら旅の無事を感謝して食べた。下船麺。 | ||
| 劇 終 |
No.9 2005年6月10日
| 会長から潘さんへのメール |
| 潘さん メールありがとう。しばらく会っておりませんね。もうホテルの副社長から |
| 社長になりましたか?丹東~瀋陽は高速道路で2時間30分でつながるようになり、 |
| 私の社員は月1回のペースで婚姻要件具備証明書を結婚したい男性と一緒に |
| 瀋陽の領事館に行っています。結婚を目的とした良いお嬢さんなら、久しぶりに |
| 潘さんに私が会いに行き、そのお嬢さんと面接をします。メールで本人の写真・身分 |
| 証明書の写し・戸籍謄本の写し・経歴書を送ってください。もう海外の成婚は180件を |
| 超えましたが、瀋陽ではまだ3件だけです。日中友好のためにも瀋陽の |
| 良いお嬢さんと日本のたしかな男性と一組でも多く結婚させましょう。潘さん! |
乞うご期待! |
石田 |
No.8 2005年6月9日
㈱日本仲人連盟 代表取締役 土橋 凌 殿 |
| 6 月 9 日に開催される国際ユニオン総会の準備会議として |
| 6 月 2 日の事前打ち合せ会議に出席した。 |
今まで 9 年間と同じく形はつくるが中身のない結果となった。 |
| 結婚相談業界も成婚率の低さなのか、お金を払ったのだが成婚できない。 |
又不当な金額だから返金しろと、兎角・消費者センターに苦情が多くよせられている。 |
経済産業省の特定商品取引の規制対象指定業者に平成 16 年 1 月に指定された。 |
だが日本人同士の結婚相談業者の広告は朝日・読売等には掲載されるが |
| 国際結婚となると海外は勿論・在日外国人紹介の 3 行広告すら出稿する事が |
認めら れない。 |
なぜだろう?それはその広告によってその需要者が騙され、金品の被害にあって |
社会の顰蹙をかう度合が多いからだろう。 |
| もしその様な被害が皆無に近い状態なら、この御時世(成婚率の低さ・少子化 |
| 1.29 %)に社会も肯定し、新聞マスコミ等も売り上げもあがる事だし、広告の掲載 |
| 等認める事だろう。 |
| ところで先にも述べたが国際結婚に従事して、健全経営を行っている業者は |
| 数少ないと思う。だから、国際ユニオン N - 045 関東ブライダル協会の様な |
悲劇が始まるのではないか? |
| 自動車でもカメラでもたくさん売れば安くなるのは周知の事実だ。 |
では多く売る、 つまり成婚数を増やせばよいのだろうか? |
おっと、どっこいそう世間は乗って こない ! 玉子が先か鶏が先か? |
| 昭和 40 年頃から不動産業界(旅行業界)でも保証金制度を導入し |
社会に安心を 与えて今日の繁栄を築いた。 |
| 今の結婚相談業界・特に国際結婚業界は金融業者のように登録制又は |
| 時代に逆行するが許可制として一定の保証金を国・又は県に供託し、 |
| 取扱い業者個人も教育、 認定証書を交付し、 |
「さあ!国際結婚も安心ですよ。人生の選択肢にどうぞ」と |
社会に知らしめる事が重要であり、そうして多くの結婚したい人々を結婚させ、 |
| 生きがいを感じ、子供を生み家系崩壊を防ぎ、隣国等の友好にも寄与する事だろう。 |
しかしその量の問題は不動産・旅行業界に比べ、数少なく夢物語にすぎない! |
| だから、良識ある民間から、その様な自主規制の輪を広げ「国際結婚も安心・安全・ |
| 納得して人生の選択肢に選べる」 だから日本一の日本仲人連盟が |
国際ユニオンを 1997 年に立ち上げてここに至っているのではなかろうか? |
形つくって魂をいれない現状に私は耐え切れない! |
従って国際結婚健全化委員の特別顧問の委嘱を断って、健全野党として聡明な |
土橋 凌社長に物を申して行きたい。 ―合掌― |
2005 年 6 月 9 日 |
No .008 ONYX グループ本部 |
東京オニックス株式会社 |
中国での国際結婚 代表取締役 石田 洋司 |
No.7 2005年5月31日
(株)日本仲人連盟 代表取締役 土橋 凌 殿に対する公開質問状 |
貴社が仲人業務を行おうとする同士を集めて、 日本仲人連盟と言う情報収集・ |
提供業務を行う会社であることを承知の上で 1994 年 12 月に 入会金 30 万円を |
支払い年間 6 万円の会費を支払って現在に至っております。 1997 年貴社の聡明 |
なアイデアで日本仲人連盟の下部組織として国際ユニオンを 結成・年間 1 万2千円 |
| の会費で当社も結成当時から貴社の招きでメンバーとして指導的立場で |
活動してきました。 この国際ユニオンは情報収集・提供機関よりも国際結婚業務 |
をとりまく法務・外務省・警察庁及びマスコミ等社会の 厳しい環境の中で教育訓練 |
モラルの向上を目指して社会の顰蹙をかわない為に 自主規制を目的として |
| 創設されたものと当社は承知して参加しました。それから 9 年-貴社が国際結婚 |
業務には無知に等しい状況の中・国際ユニオンの 委員長と称する経験あるプロの |
指導者が 3 代続き今回から委員長制度を廃止し常任委員制を設置、 国際結婚に |
対する知識の不十分なところは特別顧問・相談役・常任委員に 補完させ貴社 |
指導体制を固めようとしています。当然貴社の下部組織ですから、 貴社主導 |
で良いのですが貴社が主唱する日本仲人連盟の社会的位置を 考慮するならば |
国際ユニオンはこれでよいのですか? |
本来・仲人業は功なり名を遂げた老人が社会に恩返しの為 3 組位は 男女の縁結び |
に協力しようと自然発生的に行われている社会習慣でしたが 戦後高度に発展した |
日本の文化・経済のはざまで結婚できない男女特に男性が多くなり 仲人業が増え、 |
| 結婚したい男女の情報を管理し提供しようとする為に多くの組織が雨後の |
たけのこのように現れ淘汰され、現在は日本仲人連盟を筆頭に 数団体となった。 |
当初の目的は日本人男女の結婚のお世話であり、定年になり 恩給もつき暇だから、 |
ちょっとお小遣い稼ぎと思い、多くの老若男女が サイドビジネスとしてこの業界に |
参入したが成婚率も悪くサイドビジネスにはならないと 色々なことを模索しながら |
1985 年頃から国際結婚が始まりました。当初・ 韓国・フィリピン・中国南部・現在は |
中国北部と国際結婚の波は多くの人の目に映り、 これは儲かると多くの人が資金・ |
| 能力・モラル・教育訓練もなく現在に至っている。 |
国際ユニオンにも100以上の個人または法人が参加しているが、 各代表は |
| 国際結婚を通じて社会に貢献し利益を得ようと思って参加していると思う。 |
現状はどうだろう。 日本人どうしの結婚に重点を置いている定年の老人仲人業者は |
いざ知らず、資金を投じ事務所を設け中国新聞等に 募集広告を出したりスタッフを |
集め人件費を支払っている業者で健全経営を行っている業者は 数少ないと思う。 |
|
(株)日本仲人連盟が企業として利益を追求し 健全な経営を計ることに賛同し拍手を |
惜しまないが、我々参加企業の健全な経営をも指導協力して頂きたい。 |
現状では、(株)日本仲人連盟の代表取締役土橋凌の 下部組織・国際ユニオンは |
貴社の都合のよい方法で指名コントロールしている 御用団体にしかすぎない。 |
貴社に利益があっても参加組合員には何の利益もなく 役員になっても欠席が多く、 |
多くの組合員が名を列ねているが何パーセントが 常時出席しているのだろうか? |
1.まず参加組合の総意をより良く結集する全員参加型の組合として 代表取締役 |
土橋凌殿は国際ユニオンのポストをしかるべき方法で 開放するべきである |
2. その他多くの改善点はあるが私が提案した 1の問題点を (株)日本仲人連盟・ |
国際ユニオンに参加している全員に表明して頂きたい |
3. 貴殿がしかるべき処置をしなければ私は貴殿に指命された 特別顧問を辞退し |
健全野党として(株)日本仲人連盟・国際ユニオンの動きを 見守りたいと思います |
|
| 4. 従って6月9日の総会の前、貴殿が招集している6月2日の役員任命を |
| (貴殿は委嘱といっているが)含めた事前打ち合わせ会議に参加して特別顧問の |
去就はっきりさせたいと思います |
貴殿の聡明なる回答を信じて。 ―合掌― |
20005 年 5 月 31 日 |
NO,008 ONYXグループ本部と称する |
東京オニックス株式会社 |
代表取締役 石田 洋司 |
No.6 2005年5月23日
大連空港で5月15日(日)第1ターミナルで沖縄男子をCZ645で福岡に 送って 、 |
| 今日5月16日(月)から第3ターミナルがOPENした。 |
JAL797で群馬・横浜のクライエントが到着した。 さすが新ターミナルはナウイ! |
群馬の彼は品のいい24歳のお嬢さんと結婚・うぶで恥ずかしがりやな 女の子! |
| 横浜の彼はセンスのある27歳の会長推薦の |
“美人、 しかも都会向き”のお嬢さん と婚約した。 |
| 翌日彼女はブルーのジーンズにピンクのジャケットとピンクの靴・ |
| おまけにピンクのポシェット、びっくりしたあ! |
| 私も200組以上の仲人をやっているが、このような事は初めてだ。 |
彼女はナウすぎる。このファッション・この文化やがて中国女性は 日本女性に |
| 追いつき追い越すのではないか? |
| また男もすごい48歳の再婚男性だ。 |
| 一人娘が赤ちゃんを生んだから私はおじいさんと自称しているが、 |
| 頭は茶髪一見30代後半、 着ているスーツはブランドもの・ |
| 結婚式の礼服はタキシードにベーシックなクロスタイ。 |
| 私は平凡な黒の略式礼服に白のネクタイ。劣等感を感じた― |
| 彼の生活基盤は家賃収入が主で結構、世界を遊びまわっているそうだ。 |
| 本来ならば当社に入会しなくても結婚できるタイプだが―― |
| なんだろう? 社会構造の変化なのか?又歴史構造の変化なのか? |
No.5 2005年5月20日
| 以前・福岡~大連は ANA が飛んでいたが、 |
| 今は CZ(北方航空を吸収した中国南方航空)しかなく、 |
| 久しぶりに福岡~大連を A - 319 で飛んだ。 |
チケットの都合で大連~成田は A - 300 (旧北方航空)で 帰国したが飯はまずいし、 |
| サービスも悪いし、機体はポンコツ。 |
| やはり飛行機は JAL か ANA に限る。 |
| 各個に TV もあるし、飯はうまいし、サービスも良い! |
| じやれごとはこのくらいにして、沖縄男児はお見合いで |
| 29 歳のスマートな再婚女性と婚約し、 |
| 両親をはじめ親族を招いて昼食会で結納金を手渡し、 |
| 7 月末の吉日に結婚式を挙げる約束をして沖縄に帰りました。 |
16 日に来中する群馬と横浜のクライアントを待つために、 大連で 2 泊・ |
| フラマ-の日本レストラン横浜港の懐石料理を食べた。 |
1 人 200 元安くてうまい、焼酎いいちこのボトルが 300 元キープもできる。 |
| ほろ酔い加減でシャングリラのななめ前にある |
中国での国際結婚 フライング・バーに 立ち寄ると熱狂的なリズムの中 |
フィリピン歌手の叫びを心地良く聞きながらシーバースの 水割りを飲む! |
興業ビザで再三・日本で興業している男 1 人女 3 人のダンサーの 踊りも凄い。 |
| 日本で充分通用するショーだ。 |
| ふと昭和 30 年後半の赤坂を思い出す。 |
| コパコバーナ・ニュージャパンの地下のラテンクォーター。 |
| 今は天国にいった“勝新”が氷一杯のアイス・バケットに |
レミーマルタンを一本なみなみと注いで飲みまわしていた時代を 懐かしく思い出した。 |
| 周りは若いアベックがいっぱい額をつけあって話し合っていた。 |
| これじゃ、やぼな男がくどいても相手にしてくれないのではないか。 |
今の日本女性とあまり変わらない、考えさせられる事がたくさんある。 |
No.4 2005年5月12日
九州男子のレポートはまだですが、5月12日から 羽田~福岡~大連と渡航します。 |
今回は沖縄男子が、美しい中国女性と婚約して 7月には結婚したい希望だそうです。 |
後半は群馬と横浜の男性で結婚式をあげて 中国での国際結婚 5月20日に帰国する予定です。 |
私の渡航中、九州男子の感想文が載る事を楽しみに行ってきます 。 |
No.3 2005年5月5日
| 端午の節句5日に帰国しました。 |
| JAL798便はゴールデンウィークだが100席以上 空席 でした。 |
| 大連のフラマーで中国の友人とシバースの水割りをなめながら |
| 約2時間話し合いましたが、 |
| 日本と中国は仲良くしなければいけないとの結論になりました。 |
| つぶやきは本論に戻りますが2組の成婚がまとまりました。 |
| 1組は神奈川県の男性と私が推薦した女性です。 |
| 結婚後のハネムーンも素晴らしかったそうです。 |
もう1組 は 九州の男性と、 |
| 私の推薦した「ちょっと、トッポイタレントみたい」な女の子です 。 |
本人が私のつぶやきに感想を載せてくれると言うので 乞う ご期待 ! |
No.2 2005年4月26日
| 中国人に日本の印象はと聞くと富士山と桜と多くの人が答える。 |
| 私は中国東北部に生まれ、子供の頃はよく桜の花を見上げた。 |
その桜の花は美しい。その桜の木を毎年100本ぐらいずつ、 |
| 今年から植樹しようと計画したが今回の不慮な事態に合い、 |
| 100本植樹はやめるが、八重桜を10本位ぐらい植樹しようと思う。 |
| 10本位なら植物免疫はまぬがれるらしい。 |
| 中国東北部は日本の仙台から青森、札幌に位置する。 |
| 今、丁度、植樹の季節だ。この桜が来年、再来年に咲く事を夢見て |
手持ちでJAL797便のフライトにのせる。 |
