2 オーディション

 

 

 

         ある日、母は私が帰るのを待ちかねたように

     数枚のお見合い写真を差し出した。

     親戚の叔母が持ってきたという。

     「あなた、お見合いしてみる気ない?」

     「お見合い?」

     その言葉を聞いた途端、私はなぜか薄暗い闇の中にいた。

     目の前には眩いライトに照らされたステージがある。

     オーディション会場だ。

     私の妻という役を演じる女性を選ぶための

     オーディション会場だ。

     家柄、学歴、性格が良く、

     抜群の容姿を持つ女性達がその役を射止めようと

     満面の笑みを浮かべ腰をくゆらせながら右へ左へ

     ステージの上をウォーキングしてみせる。

     私は少し離れた薄暗い客席の中段に陣取り

     手元のライトで釣り書きと照らし合わせながら

     一人一人を吟味する。

     まるで私の結婚という作品の演出家か監督の気分だ。

     女性達はいかに私に選んでもらおうかと

     緊張気味にそして興奮気味に。

     私はそんな彼女たちと目線さえ合わせず

     極めて冷淡にそして冷酷に。

     そのたまらない空気感に背中がゾワゾワする。

     そしてその眩いライトに立ち眩みしそうだ。

     私は瞬く間にお見合いの世界にのめり込んでいった。

     「お見合いする気があるなら

     他にも声を掛けておくけどどう?」

     「うん、そうだね。」私は即答した。

     見合いという非日常の出来事に

     私は美しいほどに指触が動いた。

     母の差し金なのか

     私が結婚相手を探しているという情報が

     その筋のオバ様方の間に流れているらしく

     次から次に見合い写真が届くようになった。

     やがて私はそれが楽しみになり

     帰宅を急ぐようになった。

     母の前では平静を装いながらも

     心の中はザワついていた。

     最初の何回かは手馴らしだ。

     もちろんその中に気に入った女性がいたら

     それはそれでいいのだが

     とりあえずアップというか、プレというか

     そんなつもりで吟味に吟味を重ねさっそく

     数件のお見合いの予定を組んだ。

     まずは1件目だ。

     ホテルのロビーで両家で会うことになった。

     先方のご両親は私のことが気に入ったようだ。

     私はそれを実感する。

     私の両親も彼女のことが気に入ったようだ。

     ともに笑みが絶えない。

     彼女はうつむきながら

     時々視線を上げて私を見てほほ笑む。

     男性との付き合いにまだあまり慣れてないらしく

     その初々しさが可愛らしいが

     私の彼女への評価はまあまあという程度で

     あまりインパクトがなかった。                                     

     2~3日後には断りの電話を入れよう。

     きっと先方は断っても断っても

     もう1度会いたいと言って追いすがって来る。

     私はそれを無感情に振り払う。

     私はそんな光景を思い浮かべてほくそ笑んだ。

     しかしその日の夕方には先方から断りの電話が入った。

     「私どもはお宅様のような立派なご家庭とは

     釣り合いが取れませんので

     ご辞退させていただきます。」

     ということだったらしい。

     それはそれでいいだろう。 

     インパクトのないあの女なら

     辞退も当然だと思った。

     しかし我が家の状況は事前にわかっていたはずだ。

     だったら最初から見合いなんてしなけれいいのに。

     まあいい、どうせアップの見合いだったんだから。

     私は不快に思いながらも平静を装った。

     その後も数回の見合いをしてみた。

     彼女もそしてご両親も

     私に対してかなり好感を持っていると実感する。

     しかしいずれもすぐに断りの連絡が入った。

     「私どもはお宅様のような・・・。」

     不思議と皆、同じ言葉を言う。

     「辞退」という言葉を使ってはいるが

     実際には断りも同然だ。

     私の家は一般的な家庭よりは

     幾分裕福なほうだとは思うが 

     お見合い相手もそれなりに

     吟味して選んだわけだから

     我が家と比べて 、

     そう見劣りするような家庭ではない。

     立派な家庭と言われることは嬉しいが

     後になってそういうことを言うのなら

     最初からお見合いなんてしないで欲しいと思った。

     「5回や10回くらいのことでなあに?

     ゆっくり選べばいいのよ。

     一生を決める大事なことなんだから。」母はそう言った。

     確かにそうだがことごとく先方から断ってくるなんて

     私が否定されているようで

     納得がいかなかった。

     私が私の妻になる女性を選ぶ。

     選ばれた女性は涙を浮かべて喜び、

     私に愛を誓う。

     周りが勝手にお膳立てをし、

     アッという間に結納、結婚という運びになる。

     私は見合いとはそういうものだと思っていた。

     しかしどうだ。この現実は何だというのだ。

     

     なぜ私の方が断れるのだろう?

     私という人間のどこに問題があるというのだ。

     不愉快だ。屈辱だ。気分が悪い。

     こんな気持ちになるたびに

     菜々子の顔が浮かんだ。

     私は見合いを重ねながらも

     菜々子とは今までどおりに付き合っていた。

     私が見合い結婚にシフトを変えたことを

     菜々子には話してない。

     そんなこと菜々子は知る由もない。

     毎週菜々子のアパートに行って

     それぞれに思い思いのことをし

     何となく時間を過ごす。

     そして菜々子を抱く。

     それが私たちのいつもの習慣になっていた。

     菜々子もそんな習慣に不満はないらしく

     何かを要求してくることはなかった。

     そして

     いつも私が訪れることを待ちわびていてくれた。

     しかし

     あの眩いオーディション会場のライトを見た瞬間

     菜々子は私の人生から消えた。

     ただの性欲のはけ口としての都合のいい女、

     私の中ではそんな位置付けになっていた。

     昼、見合いをし、その高揚感を収めるために

     夜は菜々子のアパートに行った。

     先方から断りの連絡が入るたび、

     その屈辱感を紛らわせるために菜々子のアパートに行った。

     結婚するまでは菜々子がいる。

     結婚したら妻がいる。

     私はセックスに不自由することはない。

     菜々子は私の結婚が決まるまではそばに置いておこう。

     結婚が決まったら適当な理由をつけて別れればいい。

     それでいい。私はそう思った。

     しかし私は菜々子の身体に未練があった。

     こんなにセックスの相性がいい女が

     他にいるのだろうか?

     「ああ、吸いついて来るようだ。」

     私は何度もこの言葉を口にした.。

         実際菜々子のそれは私のそれに吸い付いてきた。

           菜々子はあまり声を立てない。

     むしろ細かい息使いのグラデーションで

     私の脳を責めてくる。 ああ、君はどうしてそうなんだ。

     私はその最中、気が狂いそうになる時がある。

     「そんなの、普通だと思うわ。

     他の人のことはよくわからないけれど

     普通皆なそうなんじゃない?」菜々子は軽く流した。 

     しかし、ある日

     菜々子はぼんやりと天井を眺めながら

     ベッドの淵からだらりと垂らした右足の甲だけを動かして

     ポーン、ポーンと

     水色のカーテンの裾を軽く蹴った。

     「どうしたの?」

     菜々子は返事もせずにぼんやりとした眼差しで

     水色のカーテンの裾をさらに蹴り続けた。

     「どうしたの?」

     もう一度聞いてみたが菜々子は返事もせずに

     カーテンの方に寝返りを打って

     私に背中を見せた。

    

     

     久しぶりに航が遊びに来た。

     もちろん菜々子さんも一緒だ。

     私は2人が結婚の約束をしていることを知っていた。 

     同い年の28歳同士だ。

     「それでいつごろ結婚するんだい?」

     私は話を振ってみた。

     航はパッと顔を輝かせ

         「たぶん来年早々には結婚することになると思うよ。」

     航の言葉が予定にない思いがけないことだったらしく

     菜々子さんも驚いたようにパッと顔を赤らめた。

     しかし次の瞬間、

     「今ね、お見合いの真最中なんだ。

     僕、最近ずーっとお見合いをしているんだ。

     家柄もいいし、学歴もいいし、

     ものすごく条件のいい人が見つかってね、

     もうすぐ結婚することになると思うよ。

     5歳も年下なんだよ。若いんだよ。

     しかも僕の実家で同居でいいというんだ。

     僕も両親のことが心配だからね。

     向こうもその気のようだから

     来春には結婚するつもりだよ。」

     一瞬でその場が凍った。

     しかし航はそんなことにさえ気付かず

     お見合い話を続けた。

     話が分からない。

     航は何を言っているのだろう?

     菜々子さんと結婚の約束をしているのにお見合いをして

     結婚相手を探している?

     来年には結婚する?

     私は全く話が分からない。

     「お前たち結婚の約束をしているんだろう?」

     「お袋がね、僕の結婚相手は菜々子じゃない方が

     いいらしいんだよ。

     菜々子との結婚はただの口約束、

          口約束なんて何の意味もないよ。

     口約束って寝言と一緒だからね。

     僕もしかしたら

     菜々子と結婚していたかもしれないよ。

     結婚なんて特に見合い結婚なんて

     条件闘争だからね。

     より良い条件の人と

     結婚した方が勝ちだよ。」

     航は屈託のない明るい笑顔で菜々子さんを

     谷底に突き落とした。

     菜々子さんは頭の中が混乱しているようだ。

     言葉がとても見つからないのか

     一言も発せずにいる。

     そして瞬きすることさえも、

     息をすることさえも忘れているようだった。

     「菜々子さんゴメン。こんなヤツでゴメン。」

     私は菜々子さんに心の中で詫びた。

     菜々子さんは薄く笑って

     「ゴメン。こんな男でゴメン。」と言わんばかりの

     諦めと絶望の表情を浮かべなが小さな頷きを返してきた。  

     そして私と妻が菜々子さんの姿を見たのは

     これが最後となった。

     年が明けて航は婚約成立の報告に来た。

     もちろん菜々子さんはいない。

     私は航の結婚に水を差す気はないが

     菜々子さんのことを思うと

     どうしても黙ってはいられなかった。

     「お前、菜々子さんのことはどうする気だ?」

     「菜々子?ああ、

     菜々子のことは打ち据えておいたよ。」

     「打ち据えたってそれなんだよ?」

     「菜々子がね、

     妊娠しているかもしれないっていうんだよ。」

     「妊娠?」

     「僕、春には結婚するんだよ。妊娠なんて困るよ。

     僕を繋ぎとめていたいから

     作り話をしているだけだよ。

     だから打ち据えてやったよ。

     結婚式の直前までは付き合うつもりだったけれど

     そんなことを言い出したから終わらせたよ。

     もう菜々子とは会わない。」

     航は勝ち誇ったように言った。

     「それで菜々子さんは妊娠していたのか?

     してなっかたのか?」

     「知らない。どうせ作り話だから。」

     長く付き合ったパートナーが

     愛した男に妊娠や妊娠の可能性を告げる時、

     それは脅しや嫌がらせや

     ましてや

     取引材料ではなく真実だと私は思う。

     私は菜々子さんの性格を知っている。

     きっとそれは菜々子さんの真実なのだと思った。

     そしてせめてその結果がわかるまで

     航は菜々子さんに寄り添ってあげることさえも

     しなかったという。

     もし本当に妊娠していたとしたら、

     菜々子さんはどうするのだろう?

     もし妊娠していなかったとしても

     菜々子さんはどうするのだろう?

     「菜々子さんゴメン。こんなやつでゴメン。」

     私は再び心の声で菜々子さんに詫びた。

     しかし「もういいの。」と

     諦めと絶望の顔ながらも頷き返してくれる

     菜々子さんはいない。

     航は今度は婚約者を連れてやってくるようになった。

     5歳年下の婚約者は

     小柄で可愛い人だ。

     子供のころからダンスを習っているとか。

     活発そうで喋り方も身のこなしもキレがいい。

     ダンスは結婚後も続けるという条件での

     結婚だという。

     たぶんご両親に大事に育てられたのだろう。

     甘え上手で明るい人だ。

     そういえば航の母親もどちらかといえば

     小柄な人だ。

     もしかしたら母親の好みだったのか? 

     それとも母親の好みの人を航が選んだのか?

     ふと、そう思った。

     そして4月。

     航の結婚式の日が来た。