1 不思議な思考回路を持つ男 

 

 

 

 

     4月初旬、暖かくもなく寒くもなくいい季節だ。

     特に今日は良く晴れて気持ちがいい。

     青味を増して来た空も穏やかな風にさえずるように舞う

     桜の花びら達さえも まるで2人の門出を祝福しているかのようだ。 

     でも菜々子さん  

     君は今どこにいるんだい?

     君は今何をしているんだい?

     君はこれでいいのかい?

     今から君の恋人航の結婚式が始まるよ。 

 

 

 

 


     航から結婚式の招待状が届いたのは

     先月の事だった。

     妻と二人で出席してくれという。

     しかし招待状に書かれてある新婦の名前が違う。

     私たちが知っているあの彼女の名前ではない。

     馬鹿だなあ、あいつ。

     やっぱりこういうことになったか。

     菜々子さんを手放すなとあれほど言ったのに。  

     ほんとに馬鹿なヤツだ。

     しかしこうなったからには仕方がない。

     せめて新婦にはちゃんと責任をとれよな。

     私は思わずそう呟いた。

     しかしそれを妻が止めた。

     「航さんよ、航さんだもの。」

     妻に言われて私は妙に納得した。

     航だもんな、そうだよな。航だもんな。

     私は反芻した。

     私に比べればはるかに付き合いの浅い妻さえも

     すでに航の人間性を見抜いていた。

     「菜々子さんは航さんの腕の中を

     見事にすり抜けていったのよ。良かったわ。」

     妻は胸の前で音を立てずに小さく拍手した。

     むしろこれから心配なのは航の方だな。

     私もそう思った。

 

 

 

 


     私と航は高校時代からの付き合いだ。

     友人というよりは知人といった方が正しいと思う。 

     航は当時から物事の考え方に人として

     疑問を感じるとことがあった。

     とにかくプライドが高すぎる。

     自己中心主義とはまた違う、自分中心主義というか、

     自分愛が強すぎるというか。

     自分は特別な存在の人間だと思い込んでいる節があった。

     さらに思考回路がおかしい。問題発言も多い。

     相手が気にしているであろうことをズバッと言う。

     相手が触れて欲しくないであろう部分にも

     容赦なく踏み込んでいく。

     高校生の事だ、

     身体的なコンプレックスなんて

     誰でも持っている。

     両親の不和、親との確執、出来のいい兄弟姉妹への嫉妬、

     そんなもの多かれ少なかれみんな抱えている。

     口に出さないだけだ。

     高校生にもなればそんなことには触れない事くらい

     誰でも心得ているものだ。

     しかし航はそんな概念は持ち合わせてはいないようだ。

     なぜそう考えるかなあ。

     なぜ今ここでそういうことを言うかなあ。

     お前の考え方絶対おかしいから。

     お前の不用意な言葉、相手の心臓ズブ刺しだぞ。

     長い付き合いの私でさえ戸惑ってしまう。

     高過ぎるプライド、自分中心主義、不思議な思考回路、問題発言、

     それらのすべてに対してクラスメートたちは航に対して一線を引き、

     あまり近づかないようにしている者が多かった。

     ある日昼休みの雑談の中で

     「うちの家族は雲上人だから・・・。」

     と言ったことがある。    

     いくら何でも雲上人はないだろう。言い過ぎだぞ。

     「何様のつもりだよ。」

     隣にいたヤツが小さく呟いて「チッ」と舌を鳴らしたのを私は聞いた。

     今までの積み重なるものもありさすがにみんな我慢の限界を超えた。

     この言葉が決定的となりみんなは航の傍から一斉に消えた。

     当然だろう。

     その頃のみんなの楽しみと言ったら、

     昼休みや放課後に航を誘っで遊ぶことだった。

     私たちの高校は男子校ですぐ隣に女子校があった。

     2つの学校は表から見るとそれぞれに風情の違うたたずまいで

     別々の学校であることは一目でわかる。

     しかし裏手の運動場側に廻ると

     目の粗いフェンス1枚で仕切られているだけで

     遠目には1つの学校のように見える。

     しかしあくまでも男子校と女子校、別々の学校だ。

     みんなはそのフェンスの近くで航も交えて

     戯れ合っているように遊ぶ。

     そしてチャンスを見てタオルだのスポーツバッグだの

     航の持ち物を女子校側に投げ込む。

     投げ込まれた物は女子校の正門に廻り事務局の許可を貰い

     中に入って取ってくるしかない。

     思春期の男子にとって女子校の奥深くまで入って行くことは

     相当な恥ずかしさだ。

     しかしどんなに恥ずかしくてもそうしない事には

     投げ込まれた物は戻って来ない。

     いつもいつも航だけがターゲットだと不自然だ。

     みんなはちゃんと頭を使う。

     適当に順番を決めてたまに他の1~2人の持ち物も

     一緒に投げ込んだ。

     航は真っ赤な顔をしながら、

     他の者は真っ赤な顔のフリをしながら

     「酷いなぁ、参ったよ。」と言いながら

     さも酷い目にあわされたように装いながら戻ってくる。

     「ゴメン、ゴメン」と口では言いながら

     「またやろうぜ」と目配せしながらニヤリと笑った。

     時にはありもしないカラオケ大会をでっち上げ

     航を呼び出す。

     航は喜び勇んで指定された場所に行く。

     しかしそこには誰もいない。

     航はみんなに必死に電話をかけまくる。

     「あれ中止になったって言っただろう。」

     「聞いていないよ。」

     「言ったじゃないか。」

     そんなやり取りをしながらみんなはまた

     電話の向こうでニヤリと笑った。

     それがみんなの航への憂さ晴らしだった。

     しかし航はみんなにからかわれていることにさえ気付かず、

     むしろ仲間として扱われていると錯覚しているようだった。

     哀れだよ。

     今にして思えば高校生の馬鹿げた茶番だ。  

     みんなは航に対して無視だの、暴言、暴力だの

     そんな野蛮なことはしなっかった。

     ましてやネット攻撃なんて証拠が残るような

     馬鹿な真似もしなっかった。

     表面上はあくまでも友人というスタンスを取り続け

     ソツなく付き合った。

     しかし同じ空間で同じ事をし、

     長い時間を一緒に過ごしても決して航を

     仲間として認めることはなかった。

     みんなに相手にされていないことにさえ気付かず 

     むしろみんなの輪の中にいると錯覚している航が哀れで

     私は航を見捨てることが出来なかった。

     私は着かず離れず静観することにした。

     友達のフリをしながらからかって、おちょくって、

     馬鹿にして笑う。悪質ないじめだ。

     今風に言うところのステルスいじめとでも言うのだろうか。

     しかしみんながそうしたくなる気持ちも

     私にはよくわかっていた。

     それほど航の独創性には込み上げて来る不愉快さがあった。

     卒業するころには

     航にとって会話らしい会話をする相手は

     たぶん私一人だけだったと思う。

     航は私のことを友人だと思っていたようだけれど

     私の方はというと航を孤立させてはいけないという

     哀れみだけだった。

     やがてそれぞれの大学に進学した。

     私はこれを機に航との付き合いを辞めようと思った。

     もう私の役目は終わったような気がした。

     新しい環境で新しい人間関係を作ってくれ、

     私はそう願った。

     しかし航の方は依然として私のことを

     友人だと思っていたらしく

     その後も時折遊びに来た。私は航を積極的に迎えるでもなく

     拒むでもなく、結局私もソツなく付き合った。

     大学時代、航は2~3人の彼女と付き合っていたようだが

     いずれも長続きはしなかった。

     あの高すぎるプライド、自分中心主義、

     不思議な思考回路、問題発言なら仕方あるまい。

     大学を卒業後しばらくして航は新しい彼女と付き合い始めた。

     それが菜々子さんだ。

     確かもう2年近く付き合っているはずだ。

     航と長く続く女性とはいったいどんな人なのか、

     私は彼女に興味があった。

     航が私のところに遊びに来るときは

     必ず彼女を連れてきた。余程相性がいいのだろう。

     私はそのたびに彼女の内面を探った。

     もしかして航と彼女は似た者同士では?  

     似た者同士がカップルになったらどういうことになるのか?

     私は恐ろしかった。

     しかし私の懸念は間違っていたことはすぐに分かった。

     彼女の思考回路は一般的だし

     自分の立ち位置をわきまえている極めてフツーの人だ。

     そして彼女は

     不思議な思考回路を持つ男を深く愛することができる

     特別な才能の持ち主だということもわかった。

     航、いい彼女を見つけたな。彼女を大事にしろよ。

     お前を心底愛してくれる女性なんて

     たぶん彼女くらいしかいないぞ。

     絶対に彼女をを手放すな。

     私はそう祈らずにはいられなかった。

     そして彼女には航から離れないでやってくれと

     心から願った。