基本ふらふらと歩くのが好きですが、散策前に一応の目安をつけてから出かける日もあります。
今回の目的は取り敢えず、阿部家の中屋敷跡。
大河ドラマ「青天を衝け」で、幕末の動乱期に江戸幕府の老中として提督ペリーとの外交交渉に尽力する阿部正弘(キャスト: 大谷亮平)が、老中になる前に暮らしていたお屋敷です。
阿部家の中屋敷跡は現・文京区西片に位置します。この地は明治以降、東京大学に近い立地から学者や文人たちが多く住み、今もとても上品で静かなエリアです。
素敵な現代のお屋敷群にうっとり💓💓💓挙動不審者にならないよう襟を正して?歩かなくては!
教育熱が高い文京区の中でも特に人気のある区立「誠之小学校」学区です。そもそもこの誠之小学校の前身からして、江戸での人材育成に力を入れていた阿部正弘の福山藩藩校「誠之館」です。
阿部正弘は備後国(現・広島県東部)福山藩の第7代藩主ですが、江戸で生まれた彼のお国入りは一度限り。火の車の藩政にもかかわらず、この「誠之館」に力を注いだそうです。
誠之小学校は現在、大規模な建て替え中です。
ところで、この辺りは、江戸時代に入る前から二つの街道沿い(岩槻街道と中山道:現・本郷通りと国道17号)に町並みが発展していました。
それが、徳川初期に江戸城の北面防衛のため武家屋敷で固められることになり、住人は中山道の東側への転居を命じられます。これが「駒込東片町」。町人は「片方」に追いやられちゃったんですね、昔からお上の言うことには逆らえません。
そして、大名屋敷や徒歩組屋敷となった西側は、単に「東片町向側」と呼ばれていましたが、明治に入って「西片町」と命名されます。
後の住居表示改正によって「東片町」の名前の方が消えてしまい、今は「西片」の名前と学者町の空気感だけが残っています。
江戸安政年間の地図と現在の地図を並べてみましょう。
江戸地図の中央に「阿部」屋敷。右下「加州」は加賀藩の江戸屋敷、現在の東京大学です。
江戸期の道を生かして、現在の道路が走っていることがよくわかります。本郷追分(地図中央よりやや右)が特徴的なので、わかり易いですね。この二つの街道の分岐には、江戸時代から続く老舗酒店「高崎屋商店」が現在も店を構えています。
江戸期の地図をズームすると・・・