命の別名

         詩・曲 中島みゆき

 

知らない言葉を覚えるたびに 僕らは大人に近くなる

けれど最後まで覚えられない 言葉もきっとある

何かの足しにもなれずに生きて 何にもなれずに消えてゆく

僕がいることを喜ぶ人が どこかにいてほしい

石よ樹よ水よ ささやかな者のたちよ僕と生きてくれ

くり返す哀しみを照らす灯をかざせ 君にも僕にもすべての人にも

命に付く名前を「心」と呼ぶ 名もなき君にも名もなき僕にも

 

「名のある」人にならなければならない。

 

昔はなんとなくそんなことを考えていて、自分もそうなるべきと考えていました。

 

でも、それにかなう人はほんのごく一部で、自分の能力と努力ではとても無理でした。

 

今、この国にいる大多数の人が「名もなき人」なんですよね。

 

じゃあ、名もなき人には何もないのかといえば、そんなことはない。

 

その人の生きてきた道のりは、まさに波乱万丈で、その人にはその人の歴史があるのです。

 

今の私には、「功成り名を遂げた人」の人生は心に響きません。

 

なぜなら、それは私とはまったく別次元であるから。

 

ブログを通して見えてくるみなさまの人生の一部始終と、そこにおける喜怒哀楽。

 

それは私と同じような経験であったり、私が経験しなかったような苦しみや悲しみに立ち向かう姿。

 

数多くの「名もなき人」の人生が、今の私の指針となっています。

 

ブログというものがどのようなものなのかもわからないまま、ブログを始めた私。

 

そして、それが意外と影響があるのだなと、遅まきながら気づき始めました。

 

昔は、名もなき人が大勢の方に何かを発信する手段なんかなかったし、そんな人たちの人生を知る機会も限られていました。

 

本で読むような話は、成功者の話ばかりでしたからね。

 

今の私にとって役に立つのは、むしろ失敗したり挫折した苦労話です。

 

ブログから、いろんな方の人生が垣間見れるようになったのは、とても勉強になりました。

 

ただ、私は好きだった女装のことを書いてきたけど、さすがにもう書くこともなくなってしまった。

 

今月で終了しようか、次回で終了しようかなどとずっと考えながら書いてきました。

 

でも、結局、今年1年も書いてしまいましたね。

 

名もなき私の拙い人生が、多少でも誰かの人生に役に立っていればこんなに嬉しいことはありません。

 

「僕がいることを喜ぶ人がどこかにいてほしい」

 

そんなことをいつも考えながら書いてきましたけど、また来年もそんな感じかな。

 

今年も1年お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

来年がみなさまにとって、さらに良い年であるように、祈念しております。

 

 

 

 

 

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