厚生労働省は、人生の最終段階の医療やケアについて、本人や家族などと話し合う取り組みを「人生会議」と名付けたのだそうです。
これは例えば、終末医療について延命措置を望むか望まないかなどの本人の意思確認を指すのでしょうね。
う~ん、まあ確かに人生の会議ではあります。
でも、人生ってそれまで生きてきたすべてを指すもの。
終末期だけを考えるのであれば、ちょっと違和感は残ります。
私も思うのですが、自分の人生について、ちょっと立ち止まって過去と未来を振り返るという必要性を感じてます。
それは、人生の半分くらいの時期がいいのかもしれません。
人生100年ならば、50歳くらいの時に。
いや、もっと前でももっと後でもいいのでしょう。
勝手に名付けて、「人生半分会議」。
これ、基本的に自分一人でやる会議でいいと思います。
私たちは、仕事に忙殺されて、家のローンはあり、家族を支える義務もあり、人生を振り返ることもその後の人生を描くこともあまりしません。
いや、正確にはその必要性は感じていても、それを避けているのかもしれません。
ある程度の年齢になってくると、会社に入った当初、結婚した当初に描いていた人生予測とは、かなり乖離が出てくるはずです。
会社でも家庭でも、こつこつと頑張って行けば、自分の将来はハッピーになるはずだと予測していたのではないでしょうか。
でも、現実はぜんぜんそうじゃないんですよね。
ある年代になると、会社からは手のひらを返したように冷遇され、懸命に家族を養ってきたのに家族からも冷たくあしらわれる。
あれ?こんなはずじゃなかったのに・・・と思ったら、人生予測の立て直しをする必要があるのかもしれません。
けれど、実際には現実を受け入れるのはつらいし、その後の人生を考えるのは怖くなりますよね。
男って悲しいもので、会社で定年を迎えて晴れて仕事から解放されると、急にしぼんでいく人も多いと聞きます。
定年後に何かやりたいことが明確ならばいいのでしょうけど、定年後が空白ならば・・・・・・
その点、女性は仕事をしているうちから、友人関係を充実させ、地域でもネットワークを作り、仕事を引退しても人生が楽しそうです。
男性はこんなに汗水たらして昼も夜もなく会社に尽くし、会社の理不尽な仕打ちにも耐えて、家族を支えてきたのに、その後の人生が楽しめないなんて・・・・・・
そんなことを考えているうち、私もちょっと悲しくなってきました。
じゃあ、人生半分会議でもやってみませんか?
今までの人生を振り返り、まずは自分が頑張ってきたことを自分で褒めましょう。
そして、やってみたかったけど、できなかったことはないですか?
それを定年後とは考えず、今からやってみるというのはどうでしょう。
忙しいことを理由にしてやってこなかったけど、その時間を捻出しようと思えば、結構できるものです。
女装って面白そうだけど、世間体もあるし、ちょっと恥ずかしいし・・・・と思っている方も多いかもしれません。
やってみたかったけど、できなかったことを残すと、終末期の「人生会議」の時に後悔しませんか?
それなら、ちょっと立ち止まって、これから先の人生で実現させることに加えてみるのもいいのではないでしょうか。
会社の人間関係はあるけど、それ以外はまったくつながりがない・・・・という方も多いでしょう。
会社の人間関係は会社生活終了とともに切れるものです。
それに会社の上下関係のようなものを、会社生活終了後も続けるのは嫌ですよね。
じゃあ、なにか趣味の付き合いのような、利害関係のないフラットな人間関係が必要でしょう。
でも、それを今から築くのはとても難しい・・・・・
それなら、今ここで見ているブログの世界に参加してみるというのはどうでしょう?
対面の人間関係ではありませんが、日本中の趣味人とやりとりができます。
年齢も関係なく、好きなものを通して楽しい話題で盛り上がれる関係。
それを今から築いておくと、きっとこれからの会社人生にも潤いが出ますよ。
女装だって、会社で疲れた自分がもう一人の自分に出会うという隠れた楽しみになるかもしれません。
どうでしょう、ちょっと今、立ち止まって、じっくり考えてみませんか?
↓いろんな人のいろんな人生が詰まっています。