ラックさんの記事を読んでいて思いました。
これは、まさに私だ・・・・・・・・・
私が私について蓋をしていること。
私が過去の私を思い出さないようにしていること。
あえて誰にも言わないでいること。
でも、約半世紀生きてきて、この辺で蓋を外して自分を棚卸してもいいかな、とも思いました。
ラックさんの記事に出てきた女の子と私は一緒でした。
私は幼少の頃、誰とも話せない子でした。
幼馴染の友達はいて、その子たちとは話せます。
ただ、私はベビーブーム世代で、とにかく子供が多く、幼稚園は抽選でした。
その結果、幼馴染とは違う幼稚園に入ることになったのです。
私は、幼稚園の2年間、まわりの子供たちと話すことができませんでした。
そう、極度の人見知りだったのでしょうね。
最初に話すきっかけがつかめないと、もうその後も話せない。
それで2年間過ごすことになってしまいました。
そして、小学校に入学しましたが、幼馴染とは別のクラスでした。
私はまた話すきっかけを失い、1年生の頃は誰とも話せませんでした。
1年生の頃、もらった通信簿に書かれていたのは、「ちゃんとみんなと話そうね」。
親に通信簿を見せるのが苦痛でした。
普通だとそのままのクラスで進級していくのですが、何らかの事情で2年生に上がるときにクラス替えがありました。
そこで、幼馴染と同じクラスになったのです。
そこで私は話すきっかけをつかめました。
まわりの反応は、「なんだ、話せるんじゃん」「あいつが話してる~」
そこから、ようやく普通の小学生になれたのです。
あと、つらかったのは体育が苦手だったことですね。
あの頃、クラスで目立つと言えば、スポーツのできる子。
ガキ大将的な子はみんなそんな感じでしたね。
私は、体育が苦手だから、どちらかと言えば馬鹿にされる側です。
体育の時間はどこかに逃げ出したいくらい苦痛でしたね。
中学、高校と体育はハイレベルになり、部活にも入っていなかった私は、なおさら体育の時間が地獄でした。
個人競技ならまだいいものの、球技とかだとお荷物扱いでしたからね・・・・・
大学に入って、やっと体育から解放されたかと思ったら、必修科目で2年間履修があり、がっくりきましたね(笑)
人見知りのことで言えば、中学校、高校と進学するたびに、知らないクラスメートばかりになります。
さすがに話せないということはなくなりましたが、最初の友達ができるまで人一倍時間がかかる。
そこに至るまでがとても苦しかったですね。
じゃあ、大人になるにつれ、人見知りが治るかと言うとそうでもないのです。
会社に入りいきなりの地方勤務で、知り合いが一人もいない状態に置かれる。
文化も言葉も常識も違う中で、一から人間関係を構築していく。
社交的な人にとっては刺激的なのかもしれませんが、私にとっては苦痛なこと。
で、やっと人間関係が築けた頃、転勤があるのです。
転勤は3年後ごとくらいのペースですが、そのたびに人間関係の構築を一からやり直すわけです。
転勤すると、まわりはお手並み拝見とばかりに私を見るのですけど、転勤先の仕事のやり方はわからないから、戸惑うばかり。
そうすると、仕事ができないということで、ある意味、まわりの攻撃が始まるんですね。
仕事に慣れるのは、季節が一巡するまでかかります。
そうして、ようやく人間関係と信頼関係が気づけたと思ったら、転勤となるわけです。
これは私のメンタルを疲弊させましたね。
そう言えば、女装も誰にも言えないことでした。
何でこれを好きになってしまったのだろうと悩みましたけど、もうどうにもならないんですよね。
一人悶々と悩み、でもどうしても女装したくなるので、その度に女装に走る。
自分で自分がよくわからなくなりましたね。
女装については棚卸しておこうと思い、ブログを始めましたが、それ以外にも蓋をしていることがありました。
私は本当のところ、どういう人間なのか、そろそろ蓋を外して自分を認めた方がいいのでしょうね。
自分とはこういう人間なのだと、全面的に肯定しないといけない時期に来ているようにも思いました。
もう、人生ここまで生きてしまうと、これから先、自分の性格や中身が変わることはないでしょうからね。
そんな思いで、誰にも言えなかったことを書いてみました。
まだ、他にもありそうな気がしますけど(笑)
↓こちらは話せる人ばかりですよ。