最近、妻とこんな会話がありました。

 

妻は、私がブログを書いているのを知りませんが、同じ趣味の人たちのブログにコメントを書いているのは知っています。

 

「コメントを書く人たちってどんな人たちが多いの?」

 

「いろんな人がいるけど、自分が書いているのは単に女装をすることが好きな人たちだね。」

 

「それって、理想の女を目指して、ブログの中で競い合っているところがあるの?」

 

「まあ、そういうところもあるね。」

 

「自分が理想の女になるってことは、全部自分の中で完結してしまっているということでしょ。あなたもそうなの?それだと、女としての私の存在は意味がないんじゃないの?」

 

「う~ん、そんなことはないよ・・・・・」

 

妻の中には、こういう考えが逡巡しているようです。

 

男である自分が、女の役割まで果たしてしまったら、妻としての立場がない・・・。

 

確かにそう言われればそうかもしれません。

 

「女装」が一つの趣味として認知されるのは、家族の場合、相当難しいと思います。

 

妻を悩ませる趣味をこのまま続けてもいいのかと、私も苦悩しています。

 

今、女装を趣味としていて、家族にばれていない方は、細心の注意を払って家族に絶対にばれないようにしてくださいね。

 

それが、自分も家族も幸せにします。

 

 

ところで、失業中に私がよく聞いていた歌に、中島みゆきの「誕生」という曲があります。

 

 

ひとりでも私は生きられるけど、でも誰かとならば人生は遥かに違う

強気で強気で生きてる人ほど、些細な寂しさでつまづくものよ

呼んでも呼んでも届かぬ恋でも、むなしい恋なんてあるはずがないと言ってよ

待っても待っても戻らぬ恋でも、無駄な月日なんてないと言ってよ

めぐりくる季節を数えながら、めぐりあう命を数えながら

畏れながら、憎みながら、いつか愛を知っていく

泣きながら生まれるこどものように、もいちど生きるため泣いてきたのね

Remember 生まれたとき、誰でも言われたはず

耳をすまして思い出して、最初に聞いた Welcome

Remember 生まれたこと Remember 出会ったこと

Remember 一緒に生きてたこと そして覚えていること

 

 

親の期待に応えられず、しかも厄介な病気になり、職まで失ってしまった私。

 

人に言うのも憚られる、不可思議な趣味を持ってしまった私。

 

果たして生きている価値なんてあるのだろうかと何度思ったことでしょう。

 

でも、こんな私でも、生まれた時はきっと歓迎されているはずなんです。

 

父が死んで、葬式が終わって一段落した時、母がタンスから古びた手紙を出してきました。

 

私が生まれた時、父が書き残したもので、父が死んだときに私に見せるよう言い残していたものだそうです。

 

中には、「我が息子よ、よくぞ生まれてきてくれた。生まれてくれてありがとう。」というようなことが書いてありました。

 

酒癖が悪く、家族の悪態ばかりついている父親でしたが、私が生まれたことは素直に歓迎していたんですね。

 

何か生きる価値を見出したような気がしました。

 

 

 

 

↓女装だっていいじゃん!見逃してくれよ!

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