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理美容業務再開支援のブログ

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多賀城市の避難所を出て、もう一度、理容協会に行ってみようと思う。

多賀城市から車で三十分位の仙台市泉区にある理容協会に行くのはこれで、四回目だ。

理容協会の建物が見えてくると、この前きた時と違う事に気付いた。

車が停まっている。


外では、宅配業者が閉館していた間に溜まったであろう沢山の箱を建物に運び入れている。

車を停め、二階にある事務所に上がり、入り口から見えるガラス貼りの部屋には、男性が三人、箱の開封をしていた。

中に入って、挨拶をすると、会いたかった、理容協会の方々がだった。

本活動を簡単に説明し、彼らを探していた事を伝えた。

彼らは、温かい言葉で、迎えてくれ、奥の応接セットへ案内してくれた。

一通り、活動内容を話し終えると、次に彼らが話しはじめた。

ここ数日間、被災地を周り、時には被災者のカットをして、また、時には、被災した理容師さんに業務再開に必要な物資を渡してきた事。

そして、何より被災地を廻って、ハサミなどの業務再開に必要な物資を渡してくる間に、宮城県で集めたハサミが無くなって、今回の支援がとても助かるという事を話された。

そして、連絡先を交換し、彼らはご丁寧に連絡が取れる時間帯と、連絡を取るだろう事務の方を紹介してくれ、今後れん連携して行く事を、ありがたいと話してくれた。

ハサミを含む、支援物資を車からとってくると、すぐにハサミを手に取り、「しっかりした良いハサミだね」と言ってくれた。

耐摩耗性に富んだハサミの技術を説明すると、落ち着いたらぜひ自分たちも使ってみたいと話され、購入方法、アフターサービスについて聞いてきた。

その上、彼らは自分達も店をやりながら協会活動をしている現役である事を伝えられ、平日は店をやっている事を知った。

やっと会えた理容協会の方々との今後の取り組みを一通り決めると、事務所を後にした。

車に戻ると、Nさんと今回の目的達成に歓喜した。

ハサミはここで全て受け渡したので、今回は宮城県での支援でいったん終了となる。

その他の被災地支援については、帰ってMさんと相談したいと思う。

明日は、関東地方に戻る事にする。計一週間の旅となっていた。
ここ数日、被災地に向かう事が多かったが、ブログに上げる写真が撮れない。

規制されているわけではない。

この惨状を、被災者の気持ちになると、救命支援をやっているわけでもない、報道機関でもない本活動では、撮る気に慣れない。

興味本位でしかないように思えるからだ。

被災地の外にいる、理容関係者、美容関係者へ、同業の方々がどの様な環境にあるか、どんな要望を持っているか、どの位の期間支援を必要としているかを伝えることで、一つでも多くの理美容の復興支援物資を送ることができるか、一人でも多くの、被災地の理美容師を支援できるかという思いから、ブログを書く事にした。

惨事を撮影する事は、この活動の範囲を超えているように感じる。

避難所の撮影も、被害状況の撮影も興味本位でしかないように感じる。

長く、支援をして欲しいから、その惨事をありのままに伝えるべきなのかもしれないが、ブログも言葉を選んでしまう。

被災者も、関係者も読んでいるのだろうと思うとなおさらだ。

より多くの理美容の支援物資を集めたい。食料などの理美容の復興支援物資以外は範囲ではない。

できる限り多くの理美容の支援物資を集めて欲しい。

例え、惨事を目の当たりにできなくても。

復興には、椅子やミラー(鏡)、洗面台やガス設備、ガスの点検できる技師のボランティア、ヘアドライヤー、バリカン、ハサミなど多くのものが必要。
今日、被災地の瓦礫を集めている場所の横を車で通った。

その瓦礫は、幾つもの小高い丘状に積み上げられており、数台の建機はその上に乗って作業をしてた。

この瓦礫を見て、あのテレビで見た津波がいかに大きなものだったかがわかる。


???

見ていると、その瓦礫に何らかの秩序がある事に気付いた。

なんと、その丘の一つ一つが、タイヤ、燃えるゴミ、鉄などの金属、プラスチックなどに分けられているのだ。

日本人の心を見た。

こんな時でも、しっかり分別をしているのだ。

被災地でもないのに、分別が出来ていない場所もあるというのに。