歴史のビッグバン-53
さて、今日も、いま読んでいる「一万年の旅路」について書いてみたい。今日は、戦争と平和についてである。「一万年の旅路」に出てくる「歩く民」が、アメリカ大陸のオンタリオ湖の湖畔に着くのは、いまから約2500年前から3000年前である。ユーラシア大陸からアメリカ大陸に渡ってから約7000年後のことである。この頃になると、アメリカ大陸の人口も増えてきていて、他の部族と接触することが多くなってくる。不思議なことに、この「歩く民」はオンタリオ湖の湖畔に着くまで、諍い、または、戦争を知らなかったのである。それまでにも多少の問題は有ったのであるが、この「歩く民」は、できるだけ争いが起こらないように紛争を避けてきたのである。最初の諍い、または、戦争の原因はテリトリーの侵犯問題である。この時代には、既に、良い土地に定住する人口が増えてきていたようである。この時代の人類のほとんどは、狩猟または採取で生活をしていた。人口500人位の集団のテリトリーはどのくらいであったのであろうか?虎のテリトリーは、約数十平方キロmだと言われていて、6Km四方程度と思われる。この範囲に他の虎が入ってくると争いが起こる。人間の場合は、どうなのかよく分かりませんが、私の推測では、500人程度の部族で少なくとも100平方キロm程度のテリトリーが必要ではなかったかと推測している。なぜならば、この程度だと周囲を一周すると約40Kmとなるからである。40Kmは歩いて約10時間であるので、一日の昼間に、採取しながら歩ける限度である。この範囲で、採取や狩猟できる食料がどの程度になるかよく分からないが、良い土地では、最低でもこの程度が必要であったのではないかと推測される。この「歩く民」は、オンタリオ湖の湖畔で、既に他の部族が領有権を主張するテリトリーの中に入ったのである。その領有権を主張する部族は、武力で脅して、「歩く民」に出て行くように脅迫したのである。この「歩く民」は、平和的に和解しようとしたが失敗し、出て行くことになる。そのあと、「歩く民」も戦うことを学ぶことにするのである。この「歩く民」は戦争をも準備しながら、自分達が栽培している植物である豆、カボチャ、トウモロコシを贈るのである。戦争と平和である。また、それらの食料の栽培方法も、他の部族にも教えようとしたのである。人類の貢物とは、こうして始まったのかもしれない。食料を栽培するようになると、人類のテリトリーの範囲を狭くでき、人口密度を上げることができようになります。現在の米生産では、1反(300坪)の水田で8俵~10俵程度のお米ができます。これで約8人程度の1年間の米生産が可能です。1000人程度の村ならば150反(45,000坪)の水田があれば暮らしていくことができます。1町(=10反)ならば10家族程度が暮らせます。昔は、これを「町」といったのかもしれませんね。豆、カボチャ、トウモロコシの栽培が、どの程度の生産力かは分かりませんが、その当時としては画期的な生産方法であったと考えられます。この「歩く民」は、武力を準備しながらも、この栽培を近くに定住する部族にも教えて普及させようと努力します。それは、だんだんと他の部族にも受け入れられるようになります。しかし、問題がいろいろと出てくるようになります。第一は、ささいな争いも武力に訴えて戦争になるような傾向が出てきます。第二は、平和が続くと武力の準備を怠り、部族全体が弱くなる問題が増大します。そこで、この「学び」を大切にする「歩く民」は、各部族の代表が集まって協議したり、紛争の当事者の間に入って調停する役割を持った者、機関をつくります。最終的には、3年に一回、各部族が集まるお祭りを始めるようになります。このときには、各部族の技を競い合う運動会のようなものも開催します。いまのオリンピックと技術競技会と物産交換会、歌と踊りの祭典を兼ねたようなものと考えられます。ビックリするほど賢いですね。そして、この地域に住む違う部族同士で、協定を結んだり、飢饉になったときに助け合うようになります。このように、戦争への備えと、平和への努力を推し進めますが、やはり、人口が増えるに従い、紛争も増えていったようです。後のイロコイ族 でも、大きな戦争が起きたりしています。ここで大切なことは、この「歩く民」の部族は、戦争と平和の間にもバランスが大切なことを学び取ります。平和だけが大事だとは考えなかったところが、なかなか大事なところです。このバランスのうえで、戦わないで紛争を解決する方法を探究することに最大の努力を傾けます。古代の人達が、このような創造的な文化を永い歳月をかけて作ってきたことには驚かされます。私に一から考えろと言われても、とてもできないことです。そして、むしろ現代人がこのような智慧を失うのではないかと心配になります。智慧を失うと、太古の人々より劣る人類になる可能性が有ります。アジアにおいても、中国の先史時代の考古学的な遺跡からは、あまり戦争が無かったことをうかがわせます。それは、集落の周りに、川からの水を通す堀を作っていますが、これは獣が入ってくることを防ぐ程度のもので、戦争に備えたものではありません。戦争が増えて、集落の周りに本格的な石造りの城壁を築くのはもっと後のことです。日本列島では、集落全体を囲む城壁などは無かったと記憶しています。平和だったんですね。このような問題は、現代にも通じています。人間が増え人口密度が高まるに従い、さらに人間の智慧を高める努力を怠らないようにしないと、大きな問題を招来します。それでは、次回に続く。