四国八十八ヶ所 カメラ歩き遍路 シーズン1 Day1 その5 5番札所地蔵寺~6番札所安楽寺 | 東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

マンホールや消火栓などの蓋、特に地味蓋を中心に観察しながら歩きまわります。タイトルとは裏腹に都外出没頻度も高いです。

地蔵寺門前のお地蔵さん。

 

道標の他に板碑もありました。「觀應の板碑」とあります。観応年間に建てられたものということだとすると1350年代のもので700年近く前のものということになりますね。古い!そして状態がいい。

八坂神社

忠魂碑も今回のお遍路中たくさん見ました。

 

徳島でよく見た里程標を兼ねた親柱 「距市塲町一五二粁」とあります。

反対側には「距撫養町一九〇粁」

立派な石灯籠

ちょっと読めないのですが「遍路みち」と漢字交じりで書かれているのでしょうか?

何気なく撮った石碑なのですが

日本廻國とあります。ネットで調べてみると日本六十六カ国の霊場を回る巡礼のことのようです。「文化十三丙子八月」「奉供養大乗妙典日本廻國」。江戸時代に全国を巡礼する人たちがいたのですね。しかもこんな立派な石碑まで立てて。この碑はどういった場所に建てたのかも気になります。霊場に建てていったというよりも巡礼を終えた人が地元に建てたとかでしょうか?あるいはその縁者が巡礼者をしのんで建てたのか?

 

四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトさんが運営してくださっているヘンロ小屋第44番神宅の案内標。案内標は歩き遍路のイメージですが赤いシンボルマークが幽霊っぽくなっていました。

諸々の石碑。周辺にあったものを一堂に集めた感じでしょうか?やや雑多に感じます。

そんな中に庚申塔。「貞享元甲子年」とあります。1684年。庚申塔の鑑賞ポイントとか分類とかをいつかはちゃんと勉強したいと思いつつなかなか出来ていません。時々詳しい方の解説を聞くのですが一向に覚えられません。初心者向けによくまとまったこの動画(ちゃらぽこ散歩チャンネル「クールでロックな庚申塔の世界」)を時々見返してはみるのですが。

キャラクター的には腕が四本の青面金剛、サルが2匹と鶏が2羽。シンプルですがくっきりと濠が残っていて300年以上前のものとは思えないほどきれいです。

時刻は14時過ぎ。うどん屋が見えます。おなかがすきましたが寄り道する元気もありません。

小柿休憩所で一口羊羹ランチ。

 

大事なことは何度でも。ここは旧撫養街道だと思うのですが一里ごとに塚を設置するのではなく松を植えるようにしていたのですね。省コスト。呼び名についていないだけで実際には塚もあったのかもしれませんが。

 

蓋散歩。「かみいた 集落排水」

 

つい撮ってしまう肥料看板。少なくとも琺瑯看板的には多木肥料のシェアが高そうですね。各地で目にします。「マグホス」「しき島肥料」「タキホスカ」「コーポしき島」窒素・リン酸・カリなどと習いましたがマグネシウムも重要なのですね。

食堂サンプル陳列ケースのタイルがおしゃれ。

松島神社

 

見慣れない形の持ち送り

 

安楽寺を示す道標

 

「願主 中司茂兵衛義?」とあります。この方、江戸時代末期からお遍路をはじめ、大正11年に亡くなるまでに生涯280回も巡礼したと言われる超人のようです。230か所も道標を設置したとのことでまさにお遍路界のスーパースターですね。この道標にも「百八十三度目」!とあります。

 参考記事:

  データベース『えひめの記憶』 中務茂兵衛-四国遍路280回-

  空海の道 中務茂兵衛義教

道標を見ているだけでも遍路史上重要な人物が何人も出てくるようなのでこのシリーズが終わった時にでも振り返りの記事を書きますかね。ネット情報のまとめに過ぎないものになりますが。

 

そんなこんなで第六番札所安楽寺到着。

 

 

境内の写真は載せない載せない詐欺。お大師さんかと思ったら違いました。スカーフをまいたお遍路さんのようですね。どなたでしょうか?

 

この安楽寺には人気の宿坊があるのですが、次の札所の宿坊があるのでそちらに泊まることにしました。近いのと、納経所が開く時間の8時まで待つのがもったいない気がしたのでそうしました。