1番から2番は1.4km、2番から3番は2.6km、3番から4番は5kmとここまでは倍々ゲームで札所間の距離が伸びています。とはいえ、この5kmで撮った写真が170枚。例によって取るに足らない(撮るに足らない?)写真ばかりとは言え取捨選択に悩みます。
旧撫養街道の高徳線踏切手前の立派な道標。右大坂越とあります。讃岐方面へ向かう道のようです。
左側の道標は「☞三番金泉寺五丁、☜四番大日寺五十丁」とありますが向きがおかしいです。本当は東西を差していたものを鉄道工事か何かの際にここに移設して南北を差すような向きに置いたのでしょうか。
右側の道標は「左 奥院 ?し久ら さぬき 古とひら 道」とありますがこれも逆向きのようです。
小ぶりながらいい煉瓦煙突
坂口良子さんでしょうか?
88か所札所以外は寄っている時間がないと言っていましたが思わず吸い寄せられた巨木。
樹齢約七百年と推定されているクスノキだそうです。管理人は実は巨木好きでもあるようです。
番外霊場 宝国寺導引大師
番外霊場も簡単に手を合わせるにとどめさせていただきました。
このぼうやは誰?
遍路道のキリ看
ありがたい休憩所
振袖地蔵 400年ほど前に亡くなった当時の城主の娘をしのんで建てられたのだそうです。
300年以上前の庚申塔「供養 庚申待一座為二世? 寛文十三(癸丑?)年十月十四日」
あぜ道のような歩き遍路道へ。気分が盛り上がります。
こういった道標も一つ一つ解読しながら歩けたらもっと楽しいんでしょうね。
石臼的なものなのか水道管的なものなのか?
指差し絵の他に両矢印付きで「へんろ道」と書かれた道標もあります。いい文字ですが歴史的には新しいのでしょうね。ちょっと調べてみると昭和37~38年頃に中尾多七さんとおしゃる方たちが建てられたもののようです(ブログ「時空散歩 歩く・見る・書く」)。
いろんな石仏を目にしますがなかなか識別できません。でもこれは不動明王ですね。他に分かるのは千手観音くらいかな?
こっちの識別はツチイナゴかな?
こっちでいいのかな?と不安になったところで
ちゃんと案内があってホッとします。
気持ちのいい景色
いかにも私有地というところにも遍路道の看板があって安心です。
休憩所のようなので休ませてもらうことにして腰を下ろしたらご近所の方と思われる方がお茶を入れてくださりお菓子もいただきました。これがお接待なのですね。ありがたいありがたい。本当は納め札をお渡しするという風習があるらしいのですがスマートにできません。この後も結局、お接待のお礼に納め札というのは一度もできませんでした。
フランス人らしきグループが合流。お接待のお礼にハーモニカ演奏。(ちょっと長かった
いつのまにか境内に入っていた別格霊場愛染院の山門を出ます。
有名なお相撲さんの像かと一瞬思ってしまってごめんなさい。まあ金剛力士ですから間違いはないか。
巨大わらじ。ここのご本尊の不動明王は弘仁7年弘法大師作なのだということがこの石碑に書いてあることに、この記事を書いているときに気付きました。ご挨拶してくるべきだったな。
すっかりおなじみの「ば」の変体仮名で四ばんみち。右上は「四國」?
また山道へ入ると「四國第四番是ヨリ十七丁」とある明治十二年に建てられた道標に馬頭観音とも刻まれていました。道標と兼ねた馬頭観音なのですね。あと、すべてかどうかは別として指差し道標が明治期に建てられていたこともわかります。
明治三十七年の馬頭観世音碑と昭和十三年の牛供養塔。牛の絵がかわいい。こういうのは初めて見たように思います。馬ばかりずるい! ということでしょうか。特別可愛がっていた牛が亡くなったのかもしれませんね。
庚申堂がありましたがお堂の中の庚申塔はよく見えませんでした。この指差しマークとお地蔵さんの付いた道標は文化年間(1810年前後)に建てられた「照蓮道標」と呼ばれるものだそうです(ブログ 四国遍路道の道標・丁石)。
農林水産省の草かんむり紋章蓋
これも照蓮道標なのでしょうね。
職場のルールではなく「やってみよう」レベルなのかな?
日本道路公団管轄?
こんなに落ち葉がいっぱいの場所で喫煙可能だなんて大丈夫か?
法乃橋とありますが橋ってあったかな?
4番と5番の分岐点
すぐ三ばん、四ばん? 札所みち、十三丁目
突然ですが変わった碍子
いよいよ四番
着きました。
第四番札所 大日寺