水野監物(忠之)邸跡水野監物(忠之)邸跡(岡崎藩水野家中屋敷跡)元禄15年(1702)吉良上野介の首を打ち取った赤穂浪士たちは、大目付に出頭した。のち三河岡崎藩水野家(赤穂事件当時藩主第4代水野忠之)に9名が預けられ、元禄16年(1703)2月4日この屋敷で切腹しました。水野家は細川家とともに赤穂浪士を、丁重に扱ったと言われています。「細川(細川越中守)の水の(水野監物)流れは清けれど ただ大海(毛利甲斐守)の沖(松平隠岐守)濁れる」 芝 5-20-20