ところで、私が以前、イヨネスコのゆで卵の作り方を上演したとき、
公演のパンフレットでちらりとダダ的、と書いた事があったのですが、
その、ダダとは、ダダイズムのことで、
今年2016年は、ダダイズム始動から
100年の年にあたるそうです。

夏には、ダダのイベントが各地で開催されていました。

ダダイズムとは、スイスのチューリッヒで
ルーマニア出身のトリスタンツェラが始めた運動です。
簡単にいうと、アバンギャルドな芸術運動で、
ツェラはダダは何も意味しないと、叫んで芸術のあり方を問い直しました。

早稲田の博物館に、ダダの雑誌などの展示があり、夏に見に行ったのですが、
その時に壁に貼られていたダダ宣言の引用集、というのがおもしろかったので、ご紹介します。

私は、これが書かれた展示の前で、ずっと書き写してました(笑)



ツェラのダダ宣言引用集

ムッシューアンチピリンの宣言
ダダ宣言集より
(塚原史訳、光分社古典新訳文庫)

1916
ムッシューアンチピリンの宣言

ダダは我々の強烈さだ
我々はサーカスの団長だ
芸術はまじめなものじゃない。それはまちがいない。

1918
ダダ宣言1918

私は宣言を書くが何も望んではいない。
ダダ それは思想を狩猟へと導く一語だ。
ダダは何も意味しない。
新しい芸術家は抗議する。彼はもう絵を描かず、石や木や鉄から直接創作する。
秩序イコール無秩序
私イコール非・私
肯定イコール否定

どのページも爆発しなければならない。
めまいと新しさによって、圧倒的な冗談によって、印刷方法によって。

ダダは抽象作用の看板だ。広告やビジネスだって、詩の要素なのだ。

私は頭脳と社会組織の引き出しを破壊する。
論理はいつも間違っている。

私はシステムに反対する。一番受け入れられるシステムは原則としてどんなシステムも持たないシステムだ。

わかりやすい芸術作品などと言うものは新聞記者の産物に過ぎない。

誰もが叫べ。破壊と否定の大仕事を成し遂げるのだ。掃き出せ、洗い出せ。

1919
気取りのない声明

芸術は新世界の誕生を待って眠りについている。

「芸術」というオウムの言葉はダダによって置き換えられた。プレシオザウルス(首長竜) 又はハンカチによって。

音楽家諸君、君たちの盲目の楽器をステージで破壊せよ。

芸術には手術が必要だ。