備忘録

四国管内徳島部隊の変遷

留守第五十五師団 昭和16年9月24日~20年4月6日まで

歩兵第百四十三連隊補充隊(西部第三十三部隊)昭和19年6月30日まで

歩兵第百四十三連隊補充隊(中部第八十三部隊)昭和19年7月1日以降

善通寺師管区 昭和20年4月7日~6月20日まで

善通寺師管区歩兵第二補充隊(中部第百五十部隊)

四国軍管区 昭和20年6月21日~11月1日、復員完結まで

四国軍管区歩兵第二補充隊(四国第百五十部隊) 徳島県史

 

歩兵第百四十三連隊補充隊 西部三十三部隊 昭和16年9月24日~昭和19年6月30日

歩兵第百四十三連隊補充隊 中部八十三部隊 昭和19年7月1日~昭和20年4月6日

第二補充隊 中部一五〇部隊 昭和20年4月7日~昭和20年6月20日まで                      

第二補充隊 四国一五〇部隊 昭和20年6月21日~復員完結 茶園先生調査

 

他にも下記の様な記述が有り

 

留守第五十五師団 昭和16年9月2日~20年2月27日まで

善通寺師管 昭和15年8月1日~昭和20年4月1日

始まりが昭和15年7月24日制定、26日公布、8月1日実施 軍令陸第20号 

善通寺師管区(部隊) 昭和20年4月1日~20年6月22日

終わりが昭和20年6月20日制定、22日公布、?日実施 軍令陸第17号

善通寺師管区司令部 昭和20年2月28日~6月11日まで

善通寺師管区歩兵第二補充隊(中部百五十部隊)

四国軍管区    昭和20年6月19日~

四国軍管区司令官 (原田熊吉中将)

四国軍管区(部隊)昭和20年6月22日~

四国軍管区(部隊)昭和20年2月28日~

四国軍管区司令部 昭和20年6月12日~11月1日、復員完結まで

四国軍管区歩兵第二補充隊(四国第百五十部隊)(高橋渉大佐)

 

歩兵第百四十三連隊補充隊にて作業(築城)中隊を仮編成

中隊長は阿部謙四朗大尉

 

小隊長、井上喜久夫少尉

分担区域、第一期 昭和19年(7~8月)牟岐~鯖瀬

分担区域、第二期 昭和19年(9~12月)浜崎に続く鞆浦~甲浦

一期工事の宿所は牟岐駅前の天理教集会所

工事期間中に一週間ほど手羽島へ機銃陣地構築に出向く

大島に駐屯している海軍とも交流が有った、海軍は水中聴音機等にて監視を行う

 

※海陽町馬谷の城山(海部城?)山麓に警防団が大規模な退避壕を構築。

海部城址山上に陸軍の高射砲陣地。

海部城址山上に陸軍の監視所、防空壕が構築、作業は浅川以南の各町村から奉仕隊が交代で出勤、延べ人数は一万人を数える。

 

その他関連

 

※日峰陣地

小隊長坂本好少尉が昭和19年7月頃、日ノ峰山頂に約300mの洞窟陣地を構築、約2ヶ月で貫通。その後、本土防衛軍が編成される事になり原隊に帰る。

歩兵第450連隊、昭和20年2月28日編成に西部33部隊から転属。

 

※沿岸陣地構築、防衛

鳴門~蒲生田までは菊水部隊が担当

 

※高知県の佐喜浜防空監視哨(佐喜ノ浜防空監視哨)

第43連隊の兵士が防空監視任務にあたり終戦を迎えた後、善通寺で解散式をして復員

 

二期工事の宿所は宍喰町の寺院に分宿、各沿岸地に陣地構築

竹ヶ島にも一箇所機銃陣地を構築

 

小隊長、越智(または澤近)中尉

分担区域、第一期(7~8月)鯖瀬~南浜崎

 

※徳島県の牟岐に関しては沿岸陣地も防空監視哨も全然資料が無くて困っていましたが地図や上記の記録から現地調査をして確信致しました。新発見です。

防空監視哨から、沿岸陣地化されましたので運営が民から軍に変わったのは早ければ工事の始まった直ぐの昭和19年の7月からだと思います。場所的に監視哨員が居ると工事の邪魔になる感じがしますので哨員は、軍の管理下で勤労奉仕をしながら運営し、工事途中か終了後即、軍の運営になったと思います。

 

今回2回目の訪問ですがまだまだ遺構が残っていると思います。全部がコンクリート製のタコツボは徳島県では初めて確認出来ました。最初、小銃掩體かと思いましたが掩蓋付のコンクリート製タコツボで合っていると思います。今回、ダニを持ち帰ってしまいました、帰ってズボンのお尻に付いていたのを払い落して安心していたのですが膝横にマダニが喰い付いて引っ張っても離れず、大変でした。

 

↑牟岐陣地 牟岐防空監視哨全景 20260508

 

↑蛸壺

 

↑歩兵陣地?機銃陣地?南

 

↑歩兵陣地?機銃陣地?北

 

↑四等三角点 小張

 

↑聴音壕跡

 

↑蛸壺?

 

 

 

 

 

↑蛸壺

 

↑交通壕

 

↑蛸壺、ここだけ石で囲ってセメントで覆われている

 

↑蛸壺

 

↑蛸壺

 

 

 

 

 

↑コンクリート製蛸壺、内径約92cm、蓋底部から底まで約92cm、小張崎の方向に向いている、徳島県内初確認