ああ!やはり… ‼ という思いがあった。
このニュースを目にした時、
まさに目を疑ったと同時にそう思った。
ギャレス監督降板
初め2014を観た時、根底にある感想は
「う~ん、ちぐはぐな映画」だった。
2014はプロジェクトが進み、ギャレスは途中参加だった。
シナリオが実はそのまま撮れば何時間?にも及ぶとか…(つまり完成してない?)
それでいてこのシーンには目を見張った。
怪獣ムートーに対し、核兵器を行使しようとする米海軍ステンツ提督。
これに父を広島原爆の被爆で亡くした、渡辺謙演じる芹沢博士は、
核の力によって何がもたらされるかを
父が被爆後も所有していた形見の懐中時計
(原爆投下の時間で止まっている)を提督に見せて、核兵器使用に反対する。
しかしステンツ提督はその反対を押し切り核使用を強行。
だが核を餌とするムートーに運搬中の核兵器を奪われてしまうという最悪の展開となるのだが。
現在、人間を脅かす驚異は様々あるが、ゴジラの存在する理由で外せない驚異とは
ゴジラは戦争の具現化、
「水爆大怪獣」なのだ。
日本という原子爆弾を投下された国が作った映画だ。
その日本がこういった表現しかしない時代だ。
このシーン、ギャレス監督は過去に広島の原爆資料館を見学し、
8時15分で止まった時計を見て衝撃を受け、それを映画の一場面に組み込んだというエピソードが当時語られた。
アメリカが製作した映画で(ギャレスはイギリスだが)、このエピソードが組み込まれた事に当時驚いた。
ギャレス監督のこだわりである。
反核運動とかそういうことではなく、
「彼はゴジラのテーマを理解している」と感じたのである。
この映画でのゴジラのキャラクター付けもよかったが、このテーマの理解─
「SFは時代を映します。
1954年のゴジラが原爆や水爆実験の象徴だったように、ゴジラは原子力に警鐘を鳴らす作品です。
それを日本を舞台で作って、日本で起きた出来事に言及しないわけにはいかなかった。
日本で起きた出来事そのものを直接描くことはしたくなかったけれども。日本の仲間たちと常に相談しながら、きちんと敬意をもってやれば許されると思った。
それにこういう現実の問題に真っ先に言及するのは、大衆文化の大事な役割です。
説教は絶対にしたくないけれども、ゴジラ映画の伝統において原子力の問題を無視するわけにいかない。
地震や津波や原子力をリアルに描くのに、一連の映像を無視するわけにもいかない。
あまりに僕たちの脳裏に刻み込まれているので。だからわざと、そういう映像を使っています」
「でも、笑える場面もありますよ。深刻なテーマを扱っているだけでなく、楽しんでもらえる映画を作ったつもりです」
〈ギャレス・エドワーズ〉
だからこそ、先の映画が
1本の映画としての完成度(エンターティメントとしてのバランス)には不充分と感じても、
次回作ははじめから参加し、一作目の成功(映画の評判、ゴジラを復活させたこと)により発言権も増し、
彼の好きな、もっとゴジラ映画としてまとまった作品になるだろうと。それを観たいと思っていた。
だが、やはり…
『ゴジラ』や『スター・ウォーズ』よりもスケールの小さい映画を監督したい意向を持っているようで、降板は友好的な形で合意されたという。
大きな映画であればあるほど。
様々な利権が絡み、自分の自由にはならないこともあるだろう。
超大作続きが、彼を急激に消耗させたのだろうか…
いずれにせよ、彼個人には同意の思いがあるが
残念…