BSP『新選組』暁の章、そして宵の章、東京大阪合わせて、全24公演、ご来場いただきました皆様!
誠にありがとうございました!!
山南敬助役を演じました。
、、、ん。。。いま書いてて違和感があった。
演じたのか、、、
否。
山南敬助として、舞台上で生きさせていただきました。
これだな。しっくりくる。
さんなんさんの人生を生きるにあたって、たくさんのことを考えました。
ドラマにもなっている。ゲームにもなっている。たくさんの方々が演じてきた山南さんを、自分がどう生きるのか。正直不安やプレッシャーがありました。
で、、、山南さんのお墓参りしたり、山南さんが脱走して見つかったとされる大津に行ったりして、散歩しながら考えてたんです。
その時、ふと思ったのが、BSPが好きだとゆうこと。ひたすらにBSPを愛してることが、今回の僕の山南さんなんじゃないかなって思ったんです。
きっと四年前はじめて『壬生狼』で参加した時では、できなかったと思います。
この四年間の積み重ねが、一人一人との思い出が、汗と涙と笑顔の数が、僕を山南さんにしてくれました。
四年間やってきたことは無駄じゃなかった。
いつかは新選組のように散り散りになっていくかもしれない、、、けど、まだまだそれは先の話です。
新選組は関西で名を上げ、やがて関東へ、そして全国へその名声を轟かせました。
僕たちは、、、
まだ!まだ!まだ!です。
新選組のように関東で、そして全国で名を上げたわけではありませんから。
あとちょっとのところ。まだ道なかばです。
どうかこれからも応援してください。
ちょっと書きたいことまだあるので、お時間ある方はお付き合いいただけたら。
1月22日。祖母が旅立ちました。
実はずっと入院をしてて、12年くらい。
この12年、僕の舞台は一度も観に来れなかったんですね。
で、1月22日。東京は大雪でこの冬一番の冷え込み。
がんばり屋さんのおばあちゃんは、ついに旅立ちました。
ほんとによく頑張ったと思うのです。
去年の夏前くらいから、だいぶ良くなくて、お医者さんからは、夏越えれるかなぁと、言われていたらしく。
レミの地方公演行く前に会いに行っては、帰ってくるまで頑張ってね。と、言って、ぼくは地方公演へ行き。
地方と地方の合間に会いに行っては、帰ってきたけど、また行ってきますから、頑張ってね。と、 言いまた地方へ。
そんなこんなで、なんとかかんとか年末になり。
またもお医者さんからは、年を越すのは難しいかもと言われて。
それでもなお、年を越し、頑張ってました。
最後に会えたのは、大阪に入る1日前。1月10日。
その日も、明日から大阪行くから、帰ってくるまで待っててね。と、寝ているおばあちゃんに耳もとで言ったんだ。
片目を開けて、たしかに僕を見ながら、あー。と、一言だけ返してくれました。
1月22日に旅立ち、おそらく、ようやく、やっと、僕の舞台を観に来てくれたんじゃないかなぁと、思います。
あなたこんな激しいことやってたのねぇと。
大事な仲間たちを紹介できて、誇らしいです。
なんかこんな文章のあとに貼ると宣伝ぽくなるけど、
この写真、ほんとにおばあちゃんの若い頃そっくりなんだぁ。
ヘアメイク完了後の鏡の前の自分が、おばあちゃんの若い頃そっくりすぎて、思わず、ばあちゃん!と独り言を言った。
きっとまた、おばあちゃんは観に来てくれるはず。
がんばるよこれからも。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。