昭和47年中学で野球部に入った。
学校が新設で建設が遅れて1学期は1中のグランドにプレハブを建てて授業をした。
3年はおらず2年が2組、1年が2組だった。
野球部は2年が5人しかおらずどんな下手糞でも1年でも4人はレギュラーになれた。
キャプテンは長嶋に憧れているサードでスローイングがめちゃくちゃ悪かった。
俺はファーストを守ったがとんでもない暴投を『捕れ!』と言われた
意味のない声出し
声が小さいとグローブで頭を殴られた
バットのグリップの方の細いところで『ケツバット』とかも食らった。
山の中の田んぼを埋め立てたグラウンドはフェンスも無くはるか何十メートルも下まで
ボールは落ちた。
2年の春休み明け、自転車で事故って右膝のじん帯を切り1か月入院。ギブス巻いたため
バスケ部に転部
3年で野球部に復活
後輩に手などあげたことはない先輩になった。
今日自衛隊内で銃乱射があったが
今の子と我々の時代の子では『がまん』のキャパがコップとタライくらい差がある気がする。