体罰という事の疑問 | 徳本一善オフィシャルブログ「-ICHIZEN-」by Ameba

体罰という事の疑問

書くか迷いましたが指導者として少し考えていかなければならないと思い皆さんの意見を聞かせてください。

最近、指導者の体罰が浮き彫りになりました。

高校2年生が体罰で自殺をしたということから体罰問題はどんどんエスカレートしているように感じます。
 
どんな理由であれ私自身は自殺は絶対にしてはならないと強く思います。そうならないためにマスコミの方にはどんな理由であり自ら命を絶つことはしてはいけないことなんだと訴えて欲しいなと思うのです。

マスコミの取り上げ方は私も死ねば報道してくれるのかな?と思う人たちを増やすばかりだと思います。

なぜ彼は命を絶たなければいけなかったのか?もっと根は深いような気がするのです。

私はうわべだけのマスコミが書いた事実しか知らず本当の真実は知りません。

ぜひ真実を突き止めていただきこのようなことがおきないように祈るばかりです。

私は体罰自体が悪の根源のような感じに違和感があります。

なぜなら私自身も殴られることが体罰というのなら体罰を受けたことは山ほどあります。

ここでいえば数え切れないほど理不尽なこともありました。それは指導者だけに限らず先輩からもです。

要するにしつけということなのでしょう。悪しき中にも人として成長して学ぶものもあったと今では思っています。

しかし行き過ぎは指導者としてもただすべきだとも思います。

どんなことでも「過ぎ」というものは破滅に向かう一方だと思うのです。

その境界線はまた人それぞれで難しいのでしょう。

今回の報道や体罰の問題もすべてこの「過ぎ」が起こしている問題な気がします。

教育とは何なのでしょうか?しつけとは何なのでしょうか?

体罰という言葉自体が何なのか?

そんなことを考えてしまうようになりました。

根本的な考え方が何か間違ってる気がするのです。

今回の一連の体罰事件いろんな場所で戦わなければならないものだと思うのです。

正しい体罰と思えるものでも非難されればそれは戦わなければならない。

そうでない体罰もなくすために戦っていかなければならない。

要するに個々の体罰問題を全て一緒にしてしまってはいけないと強く思うのです。

私も指導者です。しかし指導者だから完璧なのか?違います。

私は自分の未熟さを知っています。

だからこそ選手との向き合い方を日々考えているのです。

考えれば考えれるほど応えのないもののように感じます。