ロンドンオリンピックを違う視点で見る(作戦)
今回はメダルへの作戦について考えてみました。
今回私が問題視したのは、サッカーとバントミントンです。
サッカーは決勝はトーナメント戦で各グループの1位、2位が振り分けられます。
ということは、世界ランキングの高い国に当然当たりたくない。メダルへの確立を考えれば1位か2位どちらで通過すればよいのか?と作戦を選択する決断がせまられるということです。
女子サッカーはわざと引き分ける試合をしましたが、何も起こりませんでした。
しかし大問題は女子バトミントンで起きました。
メダルの可能性を考えたうえでわざと負けるということが起き、なんとその行為が失格という制裁をうけることになりました。
同じオリンピックで同じようなことをしてこうも違うのか?ということに少々問題があるのではないかと思うのです。
バトミントン競技も、決勝で有利なチームと対戦するためにサッカーと同じようなことをしたというだけの話。
こういった、予選で負けても決勝まで進み勝てば金メダルがとれる種目に起こる問題と考えています。
ではこの行為が作戦なのか?金メダルを取るため作戦として試合に負ける行為はスポーツマンシップに反するものなのか?ということに尽きると思います。
私はオリンピックルールに設定し、統一化すべきだと考えます。(ただルールを知らないのであるかもしれません)
バトミントンは失格で女子サッカーは失格ではないということに不公平を感じます。
わざと負けることが良いのか?悪いのか?これについては賛否両論だと思います。
私個人的な意見は、ルール上問題ないのなら、金メダルをとるために全力を尽くすのは当然のこと。
陸上競技では、予選で流すという行為があります。要するに決勝のために力を温存するために行うのですが今回でいう手抜の試合にあてはまってしまいます。
わざと負けるという行為はルール上許されるのならやってもかまわないと思います。
しかし、見ている人の立場からすると・・・・となりますのでやはりオリンピッククラスの選手なのですからエンターテイメントを盛り入れ楽しませるのも必要だと思います。
でないと人気はなくなるでしょう。これは死活問題です。
私が思うに、一流ならうまくやれです。(笑)
また致命傷なのが、女子サッカーの監督の問題発言です。監督自ら「引き分けを支持した」と言ってしまいました。
私はむしろ公言したことの方が失格になりうる行為だと私は思っています。なぜか?
当事者が認めてしまっては良くないと考えています。そうであってもスポーツマンシップにのとって認めてはならない。とでも固くいった方がいいのでしょうか?笑
私が監督なら何と言っただろうか?と考えた時、
「点はぜったいにとられたくなかったので、後半は守備中心で守り抜けと指示した。結果点がとれなかった。選手には攻めの気持ちを持っていただけに申し訳ない。しかし2位通過は我々にとっては金メダルに向けいい流れだと思う::::::」と後はメダルに向けての作戦や説明をすればいいのではないかと。
という言葉だとしたらもっと印象が違ったのではないでしょうか?やはり結果的にこうなった。作戦の中で点をとられるイメージだけは決勝に向け付けてはいけないと思ったというニュアンスで話した方が問題視されることはなかったでしょう。
バトミントンの選手は、手を抜いたと認めているのでしょうか?おそらく認めてはいないでしょう。
試合を見て、委員会が明らかに無気力試合と断定しての判断です。(まぁ見ていれば無気力なのは言うまでもないですが、当事者が認めなければ真意はわかるわけはありませんし)
そうなると、当事者が全力を尽くしたと言えば本来なら無気力なのかどうかなど判断することはできないということになります。
しかし日本女子サッカーはわざと引き分けに持ち込んだ試合だと認めてしまっている形になっています。
これはかなりまずいと私は思います。(むしろバトミントンより、非難を受けてもおかしくないですが監督の心情も分かるという人が多いため問題視されていないだけでしょう)
当事者が認めてしまう行為がいかに危険かが今回良くわかった気がします。
いろんな種目で作戦は繰り広げられています。体操では内村選手が金メダルのために、鉄棒でトカチェフという技を出さずに確実に演技をこなしました。
水泳では、メドレーリレーの立石選手を出すのか?北島選手を出すのか?で作戦を練ってくるでしょう。
誰もがオリンピックで一番高いところを狙っています。
今回のオリンピックの見る視点はそういった、手を抜いた瞬間や抜いている状態などに注目してみるととても勉強になると思いますよ。それが作戦なのかどうか?自分ならどうするのかなど考えてみるとより一層面白く見れると思うのですが。(私だけかもしれませんが・・汗)
手を抜いた時の表情や、一瞬のすきを突かれた時のフォームなど、集中力が切れた時に訪れる瞬間を見抜けるようになればかなりどの分野でも役立つ能力になるかもしれません。
作戦といっても、いろいろあります。時には不本意な判断を強いられる時もありま
す。
勝つためには・・・。このフレーズはきっと私たちにいろいろなことを教えてくれるものではないでしょうか?
今回私が問題視したのは、サッカーとバントミントンです。
サッカーは決勝はトーナメント戦で各グループの1位、2位が振り分けられます。
ということは、世界ランキングの高い国に当然当たりたくない。メダルへの確立を考えれば1位か2位どちらで通過すればよいのか?と作戦を選択する決断がせまられるということです。
女子サッカーはわざと引き分ける試合をしましたが、何も起こりませんでした。
しかし大問題は女子バトミントンで起きました。
メダルの可能性を考えたうえでわざと負けるということが起き、なんとその行為が失格という制裁をうけることになりました。
同じオリンピックで同じようなことをしてこうも違うのか?ということに少々問題があるのではないかと思うのです。
バトミントン競技も、決勝で有利なチームと対戦するためにサッカーと同じようなことをしたというだけの話。
こういった、予選で負けても決勝まで進み勝てば金メダルがとれる種目に起こる問題と考えています。
ではこの行為が作戦なのか?金メダルを取るため作戦として試合に負ける行為はスポーツマンシップに反するものなのか?ということに尽きると思います。
私はオリンピックルールに設定し、統一化すべきだと考えます。(ただルールを知らないのであるかもしれません)
バトミントンは失格で女子サッカーは失格ではないということに不公平を感じます。
わざと負けることが良いのか?悪いのか?これについては賛否両論だと思います。
私個人的な意見は、ルール上問題ないのなら、金メダルをとるために全力を尽くすのは当然のこと。
陸上競技では、予選で流すという行為があります。要するに決勝のために力を温存するために行うのですが今回でいう手抜の試合にあてはまってしまいます。
わざと負けるという行為はルール上許されるのならやってもかまわないと思います。
しかし、見ている人の立場からすると・・・・となりますのでやはりオリンピッククラスの選手なのですからエンターテイメントを盛り入れ楽しませるのも必要だと思います。
でないと人気はなくなるでしょう。これは死活問題です。
私が思うに、一流ならうまくやれです。(笑)
また致命傷なのが、女子サッカーの監督の問題発言です。監督自ら「引き分けを支持した」と言ってしまいました。
私はむしろ公言したことの方が失格になりうる行為だと私は思っています。なぜか?
当事者が認めてしまっては良くないと考えています。そうであってもスポーツマンシップにのとって認めてはならない。とでも固くいった方がいいのでしょうか?笑
私が監督なら何と言っただろうか?と考えた時、
「点はぜったいにとられたくなかったので、後半は守備中心で守り抜けと指示した。結果点がとれなかった。選手には攻めの気持ちを持っていただけに申し訳ない。しかし2位通過は我々にとっては金メダルに向けいい流れだと思う::::::」と後はメダルに向けての作戦や説明をすればいいのではないかと。
という言葉だとしたらもっと印象が違ったのではないでしょうか?やはり結果的にこうなった。作戦の中で点をとられるイメージだけは決勝に向け付けてはいけないと思ったというニュアンスで話した方が問題視されることはなかったでしょう。
バトミントンの選手は、手を抜いたと認めているのでしょうか?おそらく認めてはいないでしょう。
試合を見て、委員会が明らかに無気力試合と断定しての判断です。(まぁ見ていれば無気力なのは言うまでもないですが、当事者が認めなければ真意はわかるわけはありませんし)
そうなると、当事者が全力を尽くしたと言えば本来なら無気力なのかどうかなど判断することはできないということになります。
しかし日本女子サッカーはわざと引き分けに持ち込んだ試合だと認めてしまっている形になっています。
これはかなりまずいと私は思います。(むしろバトミントンより、非難を受けてもおかしくないですが監督の心情も分かるという人が多いため問題視されていないだけでしょう)
当事者が認めてしまう行為がいかに危険かが今回良くわかった気がします。
いろんな種目で作戦は繰り広げられています。体操では内村選手が金メダルのために、鉄棒でトカチェフという技を出さずに確実に演技をこなしました。
水泳では、メドレーリレーの立石選手を出すのか?北島選手を出すのか?で作戦を練ってくるでしょう。
誰もがオリンピックで一番高いところを狙っています。
今回のオリンピックの見る視点はそういった、手を抜いた瞬間や抜いている状態などに注目してみるととても勉強になると思いますよ。それが作戦なのかどうか?自分ならどうするのかなど考えてみるとより一層面白く見れると思うのですが。(私だけかもしれませんが・・汗)
手を抜いた時の表情や、一瞬のすきを突かれた時のフォームなど、集中力が切れた時に訪れる瞬間を見抜けるようになればかなりどの分野でも役立つ能力になるかもしれません。
作戦といっても、いろいろあります。時には不本意な判断を強いられる時もありま
す。
勝つためには・・・。このフレーズはきっと私たちにいろいろなことを教えてくれるものではないでしょうか?