NY駅伝 | 徳本一善オフィシャルブログ「-ICHIZEN-」by Ameba

NY駅伝

今まで日清食品陸上部を支えてきてくれた方感謝以外の言葉はありません。本当にありがとうございました。


私が入社して8年越しの優勝です。7人のメンバーの中で一番思い入れが強いと思っています。


監督には本当にお待たせしましたと言いたいですね。今まで申し訳りませんでしたとも。


優勝候補に挙げられながらずっと勝てませんでした。勝てない理由に指導法ややり方などに問題があるということを耳にするたびに、俺らがやっていることに間違いなんてないと言いたいけど言えない悔しさがいつもありました。


そんな中での優勝です。


何があるか分からないのが駅伝、予想とは違う展開になりましたが、チームのみんながそれぞれの役目を果たせた結果だと思います。また課題もたくさん見えてきました。これからその課題をスタッフと選手が共通認識のものにして埋めていかないと、2連覇、3連覇はできないと思っています。


2連覇、3連覇できるチームです。今回の反省点を生かせれば無敵だと私は思っています。


これから一年、個人の目標をクリアしながら、才能のある若い選手達の厳しいメンバー選考を勝ち残り、駅伝で勝負したいと思います。


私個人としては、駅伝の重要さというか教えられることがたくさんあるのだなと再確認しています。


私は今回、引退をかけた駅伝でもありました。これで結果が残らなければ駅伝は、二度と出ないと決めていました。


だからこそこの1年、ありきたりな言葉ですが、努力は自分を裏切らないということを信じて、地道にいろいろなことをやりました。、


その成果もちゃんと出てくれて、走りの動きがよくなり、抜ける感覚がほとんどなくなって足に力が入ようになってきました。


その結果が11月末の記録会で28'15秒という自己ベスト近くまで走れたの原因だと思います。


しかし12月の頭にふくらはぎの血管がきれ内出血してしまい、1週間休んでしまいました。出遅れを取り戻そうと、いきなり合宿で頑張りすぎました。


駅伝のメンバーに入るためには、ただでさえ厳しい選考なので、いかに自分の調子を上げてアピールできるかだったので必死でした。


それが裏目に出てNY駅伝2週間前から内臓疲労になり、体がだるく、吐き気がつねにあり、さしこみがくるような状態が前日まで続きました。


1週間前の5000mでメンバー入りできるタイムで何とか走れたのでメンバーに入れました。


しかし2日前の刺激でもし動きが悪ければ、チームに迷惑をかけたくないので、メンバーをはずしてもらおうとも考えました。


刺激をした段階で、調子は相変わらず最悪でしたが、体が動いてくれました。


駅伝に出たいという気持ちが強かったので冷静に自己分析できたかどうかわかりませんが、今の自分と8番目との選手でどちらがチームにとっていいのかと考え、自分のほうが走れると勝手に結論付けて出ることに決めましたが、チームのメンバーには調子が悪から、2分ぐらい差をつけてきてとほかの選手頼みなことを言う始末。こんなメンタルで果たして走れるのかと思うほどに・・・・。


当日も弱気なことばかり言っていました。それだけ内臓にくるさしこみや気持ち悪さがとれませんでした。


レースが始まって予想通りにいくはずもなく、4区の時点で3位という情報を聞き青ざめました・・・・(笑)


さらに5区の10km地点で、前との差は少ししか詰まってなく、後ろからは詰められているという情報を聞き、さらに青ざめました。


正直、自分を見失っていました。工藤コーチに電話してくれと付き添いに頼んで、工藤コーチに指示してくれとお願いしました。


工藤コーチは笑いながら、いくしかないだろ!といわれ、その時に「は!」としました。当たり前のこと聞いてた・・。


一気になんか吹っ切れました。5区まででこの状態ならあとは6区、7区で何とかする以外ないのだから。


簡単なことなのに、弱気な時は気づかないものなんだなと・・・・。


その言葉で一気に気持ちが変わりました。スイッチが入ったというか、覚悟できたというか、そんな感じです。


ラスト3kmで保科が先頭に立ってくれたので、とにかく小野にトップで渡してやろうという思いで走りました。


前半からいきました。向かい風がありえないと思いながら、行けるだけ行ってやろうと。


本当に今回は気持ちだけで走れたのだと思います。


だから駅伝は面白いんです。個人であってチームという独特なスポーツだと私は思っています。


だからこそ気持ちの部分が大きい。駅伝は気持で実力をひっくりかえせる力が出ることがある。これは駅伝が持っている力だと私は思います。


これからまた1年、気を引き締めて競技していきたいと思います。


もうしばらく私の競技人生を応援していただければ幸いです。