自らが立ち上げ推進してきた事業への想い、長年に渡り関係を積み重ねてきたお客様や仲間への想い、大きな裁量権や支援をいただきお世話になった会社への想い、そして自らの未来に対する想い・・・いろんな想いが錯そうする中、目をつけていた物件(会社には否決されたもののしぶとく追いかけていました(笑))も正式にcloseとなり、いよいよ私の腹は決まりました。

 

が、最優先の条件として、塾はなんとしてでも残したい!そして願わくば、発展していく未来への可能性を期待し、見守っていきたい。様々な選択肢が考えられた中から、それらを最も満たし得たのがC社からの「退職」でした。

 

私が退職すれば代役のいない会社は事業継続を断念するであろう。一方で清算すれば何も残らないどころか撤退費用すら生じかねない上、会社として初めて立ち上げた新規事業に対する思い入れもあるだろう。もちろん、お客様や仲間への誠意も問われる。つまり、譲渡/売却の道を模索するのでは?新たなオーナーのもとで私が果たせなかった事業の展望を描くのが最も発展的な幕引きなのでは?といった、苦肉の思惑でした。

 

そして迎えた7月7日、皮肉にも七夕の日、「翌年3月一杯での退職」を会社に伝え、同時に「事業譲渡交渉」が始まったのです。

 

翌年3月一杯での退職という、一般的には異例とも思われる9ヵ月もの長期間を設けて伝えたのは、やはり塾という事業の性質上、当時在籍していた受験生に対してはきちんと責任を持って送り出したいという想いと、それだけの期間があれば事業譲渡交渉に対しても前向きに関与できるであろうという会社への義理。それから状況を見ながら組織に混乱をもたらすことなく仲間たちへの伝達猶予期間を設けられるであろうこと等々、自分なりに様々に配慮してのものでした。

 

ちなみにここまでは私個人の想いを書き連ねてきましたが、大前提として、それらの思惑を考慮してくれてかはともかく、そういった身勝手を受け止めてくれたC社には、今でも本当に感謝の念で一杯です。

 

さて、そうして秋ごろから本格的な譲渡交渉を複数社と進めつつも、一方で少しでも好条件で交渉をまとめられるよう、私は「史上最高業績」での着地を目指し、事業運営に邁進していきます。

 

離れることを決めた途端に現業への関心が薄くなり、パフォーマンスの落ちるケースも多いとは思いますが、不思議とそういう気持ちにはなりませんでした。それだけ、10年近くの月日を共に歩んできた場に対する想いは、強く大きかったのだと思います。これは離れて2年以上の月日がたった今でも変わりません。

 

こうして21年は、目指した通り史上最高利益を残すことに成功します。

 

また、成立こそしないまでも売却譲渡が叶いそうだという手ごたえを確信できた年末には、各スタッフにも順次、「私が3月一杯で塾の経営から退くこと」「塾は別オーナーに引き継がれる見込みであること」そして「その後も私にできるサポートは望まれる限り継続していく意思であること」等々、伝えていきます。

 

本当にありがたいことに、様々に話していく中で、ほとんどのスタッフが「塾を守り続けていくため」に退職せず残留することを決めてくれました。

 

全力で事業を推進していく一方で、つらい別れを決断し伝えていくという、まるで相反するような取り組みが並走しながら、21年は過ぎていきました。