黄金時代の中心にいた3期生が卒業しても、塾運営は順調でした。

 

行列が生じたことで、もっと言えば評判を呼んだ世代の影響が及ぶのは概ね2年(例えば中3と接点があるのは中1まで、つまり2世代しか直接的な影響は及ばない)ということもあり、キャパのある中で卒塾と入塾のバランスから世代別塾生数の偏りが多少生じ、それらの影響から生徒数そのものは前年割れとなりましたが、各種講座類をはじめとした商品ラインナップはある程度確立され、また塾に対するお客様の信頼度も増していたことで、売上は順調に過去最高を更新しました。

 

ここで少し、当時の体制と言いますか、塾の成長に不可欠だった創業メンバの存在についても触れておきましょう。

 

指導形態としては当時主流になりつつあった個別指導(講師一人で生徒は最大二人まで担当)を採用しており、実際の指導の任には主に学生講師が当たっていました。

 

そんな中から、コンサル出自という私のキャリアや思考に興味を持ってくれたり、逆にそのくせ何も整備されていない環境と無知な私の頼りなさに対する母性本能からか(笑)、インターンとして企画や運営をサポートしてくれるメンバが登場します。

 

今はそれぞれ社会人になり、中でも創業当時大学1年生だった者たちは既に30歳前後となって、それぞれの進んだ世界で大活躍しています。

 

コンサル業界に進んだ者、ベンチャーに飛び込んだ者、手堅く大手に進んだ者・・・皆、踏み出していった世界は異なりますし、中には既に転身して当時と異なる世界に活躍の場を移している者もいますが、一つ共通しているのは、若くして様々に夢や希望、野望を持って、自らのキャリアを志向している点です。

 

今でも年に何回か集まって、未来に向けて刺激し合う関係性を維持できていますが、彼らの存在なくして事業の成長は考えられなかったですし、私にとってもこの10年で得た最大の財産が何かと問われれば、間違いなく彼らとの出会いだと即答できる、そんな稀有な出会いを得られたことは大変な幸運でした。

 

いつかまた、彼らとビジネスで関われたら・・・。それが今の私のささやかな夢の一つです。

 

さて閑話休題、しかしここから雲行きが怪しくなっていきます。4期生の代で生じた地域の受験制度変更に対応しきれず・・・いや、正確に言えば私の見通しが甘く、受験戦線において大苦戦することになったのです。

 

塾に大切なお子様を預ける保護者とすれば、結果=志望校に合格するというミッションが果たされなければ、塾に対する評価は大きく下落することになります。

 

ところが当時の私はまだ、事態が及ぼすリスクを正しく認識できていませんでした。