怒涛のスピードで過ぎた1年目は、なんと該当する受験生全員が第1志望校に合格するという、文字通りの暗中模索な中にあって奇跡と言うしかない成果を挙げることに成功します。

 

2年目も引き続き、事業としても、塾としても、もちろん私個人としても、不足を実感する場面の連続でありつつも、日一日と成長している実感もあり、非常に充実した毎日に一喜一憂を重ねていました。

 

そして、不思議と“世代の色”というものはあるもので、特に有望な層が集った3期目(開校当時中1世代)で大きな花火を打ち上げるべく、様々に仕組みづくりも推進していきます。

 

しかし今となっては笑い話にできますが、よくもまぁ、あれだけ“ないモノ尽くし”だった塾に、命よりも大切な我が子の未来を託してくれたものだと・・・。信頼してくださったお客様方には感謝の念しかないですし、それに応えるべく全力で取り組んでくれたスタッフたちにも、同じ想いです。

 

そしてありがたいことに、お客様からの評価が評判を呼び、3年目の12月には受け入れキャパも限界に達し、せっかくお問合せを頂いても「年明け〇月には空きが出る予定ですので・・・」と、文字通り行列のできる塾にまで成長を果たします。

 

期待していた3期生達も、近隣中学の学年成績上位を占めるなど結果を出してくれ、また伴って受験実績も、どこの進学塾かと見まがうほどに煌びやかなものに。

 

この頃になると、やることなすこと全ての歯車がガッチリとかみ合い、向かうところ敵なしの精神と言いますか、少々天狗になっていた部分もあったかも知れません。

 

言うならば、虚像ともいうべき黄金時代の眩しさに、むしろ視野を狭めてしまっていたなぁと・・・。

 

事実、そのことに冷や汗を流すのに、そう時間はかかりませんでした。