例年より遅い開花。
能登の地震被害は3ヶ月目。
能登の輪島は戦後に引き揚げた
私の第二の故郷故、
日々の悲惨なニュースに思いが多い。
お世話になった輪島在の父の実家の親戚家族も
今尚金沢市の旅館で避難生活を続けている。
何時になれば帰郷できるのかと心が痛む。
年賀状だけで繋がっている輪島高校の2人の友から
今年も年賀状を同様に受けとった。
やっとの思いで手紙を書いて投函した。
被災地の内灘の友人から2週遅れて返信が入った。
埼玉に住む長女宅へ身を寄せていた由、
75年振りの会話で高校時代の顔は思い出せない。
ほかの輪島郊外の友人は梨の礫(つぶて)で
心配は解けない。
私に出来る責めてもの事と、
能登のチャリティーコンサート開催を知って
2月下旬に会場へ向かった。
通常の催しとな一味違う温かさと
力強さをしみじみと感じ、心が潤った。
崩壊後の瓦礫輪島朝市通りの中で
先日朝市が立っている映像を見た。
昔から能登の女は強いとされているが
1日も早い復興を祈る。