「灰色のカラス」歌詞を読む その2 | 徳一行政書士事務所(山口県下関市)のブログ

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以前同じタイトルで記事を書きましたが、今度は真面目に。


内容に入る前に、「灰色のカラス」の歌詞はすばらしく韻を踏んでいるということを指摘しておきたい。


漢詩の世界で、神がかりなくらいうまく韻を踏んでいることを「神韻」(しんいん)というが、この歌詞もまさに神韻と言っていいと思う。


最近、AKBで神7とか、「神」という字が気軽に使われているが、人間業じゃないという畏敬の念を込めて、指摘させていただきたい。


歌詞の内容に移るが、前回も指摘したように、主人公の灰色の過去が強くにじみ出ている。


たとえば「豆を食べる暮らしはとても厳しかった」という部分。


「鳩が豆鉄砲を食らったような」という表現があるが、そのように驚愕が続く(=心休まらない)日々だったことが暗示されている。


それと関連して、主人公の孤独・頼りになる者がない感覚が色濃い。


たとえば、「歌がなかったらおいらはただのぼんくら」という部分には自信のなさとそれゆえの自尊心の高さが表れている。


また、「歌うことだけが頼りで武器でもあった」という部分は、ほかに頼りになるものがない、武器がない心象が示されている。


加えて、「すっかり彼は有頂天になっていて」の部分では、高揚感とその背後の焦燥感がよく表れている。


「選ばれたカラス」というところも、孤独な人がよく自分が選ばれた人間だと思うことを思い合わせると、興味深い。


歌詞から少し離れて、楽曲を話題にすると、最初の腹に響く重いビートと最後まで続く悲愴な調子には、何か不吉なものを予感させるものがある。


優れた作品は未来を暗示することがあると言われ、後世、あの作品はあの出来事を予言していたと言われたりするものだが、これほどの作品になると、何か未来を暗示しているのではないかと思わずにはいられない。


そして、この重く悲しい曲調と、切ない歌詞からは、戦争を暗示するもののような印象を受ける。


こんなことを書くと、「平和を歌った歌だ」と言っておられる作者からパンチを食らいそうだが、解釈は人それぞれということで。


詩的な言葉は、多様な解釈を許容するものであり、人それぞれ、自分の心で感じ取るものだが、試みに「白と黒の統一」とは何を指すのかを考察したい。


たとえば、白とは純粋な心の人たち、黒は普通の世界に生きる人たちというとらえ方もできるし、自分の中の白い部分と黒い部分というとらえ方も可能だろう。


戦争と平和かもしれないし、理想と現実かもしれない。


「白いハト」とは「空白の過去」のことかもしれない。


「イギリスのポップのスーパーヒーロー」というのは、ご本人がロンドンオリンピックの感想の中で、ポール・マッカートニーに言及していたり、「イマジン」を歌う姿がユーチューブにアップロードされていたりすることからして、ビートルズ(またはジョン・レノン)を指すと推定される。


この歌も、イマジンと同じように、ある種の理想を歌った歌だと考えられるだろう。


この歌は数年前の歌だろうが、今でも強烈なリアリティーをもって、私に訴えてくるものがある。


歌詞の完成度、詩的な表現力、それを支える楽曲、どれをとっても一級の歌だと思う。


この歌の魅力には、汲みつくせないものがある。


メジャーな歌番組で取り上げられてもよさそうなものなのに、取り上げられていないようだ。


なんでだろう。


最初に韻の話をしたが、たとえば「灰色」と「最高」で押韻している。


以前にも書いたが、作者の西田エリさんは驚くべき才能だ。


今の日本にこれほどの詩をかける人はほかにいない。