下関在住の素人バイオリン弾きのブログ

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素人のバイオリン演奏や猫との暮らしなど、平凡な日々をアップします。

デジタル教科書が正式な教科書になるそうだ。

 

これに関して、『デジタル教科書「懸念」90市区教育委の6割、視力低下や通信障害心配…読売アンケート調査』というタイトルの記事が出ていた。

 

読売新聞オンラインの記事だ。

 

デジタル教科書に関して、否定的な記事が出るたびに、私が感じることがある。

 

それは、紙の教科書がなくなると、それを収入源にしている町の本屋が困る。その町の本屋とつながっている教師も困る。

 

だから、そこらへんの関係者が、デジタル教科書に否定的な情報を定期的に流しているのではないかという疑問だ。

 

もちろん、すべて私の想像にすぎない。

 

デジタル教科書には、私は賛成だ。

 

そして、授業は、動画で最高の教師がやるようにすればいいと思う。

 

そうすれば、みんな最高の授業を受けることができるようになるし、過去に遡って学習することもできるようになる。

 

学校にいる教師は、個別の生徒の学習の補助者になる。

 

そういう方向になると思う。

ウィキペディアによると、「いろはにほへと」の意味について、諸説あるそうだ。

 

諸説あるどころか、一つの意味しかないだろうと思っていたから、驚いた。

 

試みに、私が理解している「いろはにほへと」の意味を書いてみる。

 

「色は匂へど 散りぬるを

我が世 誰ぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず」

 

(1行目)

桜の花が美しく咲き誇っていたが、あっと言う間に散ってしまった。

(2行目)

あの花のように、私たちが生きているこの世界では、永遠に続くものなどない。それは、私たち人間も同じだ。

(3行目)

今日までの人生を生きていた中で、数えきれない出来事を乗り越えてきた。

(4行目)

その中で、浮ついたことをすることの虚しさを身に染みて知ったから、酔ってもいないのに、浅い夢を描くようなことをしないでおこう。

 

結局、「いろはにほへと」の結論は、

 

人生には、日常、浅い夢、深い夢の3つがあって、

 

あれこれと浅い夢を追いかけることはしないで、

 

はかない日常の一瞬一瞬を大事に生きながら、

 

深い夢を目指して生きていこう

 

というようなことだと思う。

 

以上が、私の理解だ。

 

別の理解をしている人がいるなら、どんな理解なのか、聞いてみたい気がする。

 

最後の「酔ってもいないのに、浅い夢を描くようなことをしないでおこう。」の部分が分かりにくいかもしれないので、補足しておく。

 

「寝言は寝て言え」という言葉がある。

 

寝言は寝ている間に言う言葉だ。

 

起きている時に寝言(のようなばかばかしい言葉)を言うのは、おかしい。

 

つまり、「おかしなことを言うな。」という意味だ。

 

これを自分について言うと、「寝てもいないのに寝言を言うのはやめておこう。」となる。

 

それと同じで、「浅い夢を見るのは、酔っている間だけにしろ。」ということだ。

 

酔っている時は、非現実的だったり、価値がなかったりする夢物語をいいものだと思い込んで話すことがある。

 

酔っていないのに、浅はかな夢物語を信じるのは、おかしい。

 

つまり、「浅い夢を見るのはやめておけ。」と言う事だ。

 

「じ」というのは、自分に向けての制止だ。

 

ということは、「浅い夢を見るなんてことはするまい。」とか、「浅い夢を見るのはやめておこう。」というような意味になる。

セルフレジが普及して、もう随分たつ。

 

定期的に、セルフレジで万引きが増えたかのような報道が繰り返される。

 

私は、そのたびに思う。

 

『セルフレジが出てくる前も、「万引きが多いんだー」という報道をやってたでしょ。』

 

そう。私は覚えている。

 

セルフレジが出る前も、定期的に、万引きの報道が繰り返されていたことを。

 

結局、報道されるのは、基本的に問題、悪いことだ。

 

物事にいい面と悪い面がある場合、悪い面の方が報道される確率が圧倒的に高い。

 

それだけのことだ。

 

私は、セルフレジは好きだ。

 

有人レジは、苦手なのだ。

 

それは、焦るからだ。次の人を待たせちゃいけないという無言のプレッシャーで、焦るのだ。

 

セルフレジは、その点、マイペースでできる。

 

あと、強調したいのは、有人レジでも、打ち間違いはあったということだ。

 

家に帰って、レシートをみて、「あれっ。多く打ってある。」となって、また行って、お金を返してもらうめんどくささ。

 

セルフレジには、一つ、大きなメリットがある。

 

それは、お釣りの払い間違えがないということだ。

 

うっかり間違えることもないし、故意に間違えることもない。

 

これほど、安心なシステムはない。

 

お店にとっても、この点のメリットは極めて大きい。

 

最後の締めの時、お金が合わないということほど、憂鬱なことはない。

 

繰り返されると、「あの人が盗っているのじゃないか」という疑心暗鬼になる。

 

実際、怪しい人もいる。

 

セルフレジだと、支払は自動販売機を同じなので、お金が合わないということは、ありえない。

 

店舗運営の一つの頭痛の種がなくなったのだ。

 

という訳で、セルフレジにも、欠点はあるだろう。

 

しかし、メリットも大きいのだ。

 

報道というものは、概ね悪いことを、悪さを強調してするものだ。

 

そういう感覚で、割り引いて、見聞きするのがよいと思う。

長年のモヤモヤ、「うまれて生きて」は、モヤモヤが晴れた。

 

もう一つ、モヤモヤしているのがある。

 

それは、「マッハを超えて」という映画だ。

 

子供時代、関西に住んでいた私は、大阪のツインタワーに連れて行ってもらった。

 

ツインタワーというのは、2本の細いマンションが並んで立っている形だ。

 

その上部に科学を展示するスペースがあった。

 

そこで上映されていたのが、この「マッハを超えて」という短編映画だ。

 

その名の通り、人類が時代とともに科学の力で、スピードを上げて行ったという映画だ。

 

初期の旧式の自動車にヨーロッパ人が乗っている場面から、最先端のスピードの乗り物まで、次々に変化していくシーンがあった気がする。

 

その会場には、似顔絵を書くロボットがあった。

 

お金を払って書いてもらった。

 

色紙に書きあげられた私の顔は、似ていて感心した。

 

その色紙は、ずっと部屋に飾っていた。

 

この「マッハを超えて」という映画。

 

おぼろげな記憶なので、もう一度みたいなと、たまに思い出しては、思うのだ。

 

しかし、ユーチューブで検索しても、出てこない。

 

覚えている人もいないだろう。

 

こちらは、再会できそうにない。

 

でも、やはり、たまに、ユーチューブや、他の動画サイトで検索してみるのだ。

 

そのたびに、「やっぱりないか~」で終わるのだが。

 

そこには、2回連れて行ってもらった気がする。

 

おぼろげな記憶。

 

気になる。

 

覚えている方は、情報をください。

 

なお、ツインタワーという名称の建物は、大阪にいくつかあるようだ。

 

しかし、現在あるツインタワーが、私が子供時代に行ったツインタワーと同一かどうか、それも分からない。

 

40年前の最新式の建物も、もうなくても不思議はない。

神戸のマンションで住人の女性が刺殺された。

 

ほどなく、一人の男性が逮捕された。

 

容疑者は、女性がオートロック式のマンションに入る時、女性がオートロックを解錠して自動ドアを開けたのに合わせて、同時に通り抜けたと報道されている。

 

オートロックは安心なのだが、これが欠陥なのだ。

 

なかなか、対策が難しいと思う。

 

そこで、この記事では、私が先ほど思いついた対策を提案しようと思う。

 

それは、オートロックの解錠操作をする場所に、入る人数を押すボタンを設けることだ。

 

たとえば、子供と2人で外出して戻ったとする。

 

解錠操作をして、最後に「2」を押すのだ。

 

そして、センサーで、自動ドアを通る人数を識別できるようにしておく。

 

もし、2人より多く通ったら、警報が鳴って、警察に即時に通報が行くようにしておくのだ。

 

今、科学技術が進んでいるから、入る人数を識別するのは、可能なのではないだろうか。

 

ぜひ、検討してみてほしい。

 

もし、とうの昔にやっているのなら、おっさんの思いつきなので放念ください。

 

なお、もう一つ思いついたのは、原始的なのだが、自動ドアの内側の住人しか知らない場所に、鈍器と催涙スプレーを隠しておいて、いざとなったら、それで身を守るというのもあると思う。

明日、8月15日に、アラスカで、トランプ大統領とプーチン大統領が会談する。

 

ウクライナ戦争の解決を目指す取り組みだ。

 

リアリズムの目で見ると、善悪で見るのではなく、力の均衡で判断する。

 

ウクライナとロシアの力が均衡する線を境界線とする形で、決着をつける。

 

ロシアは、今占領している地域を、自らの支配下に置くことができる決着になるだろう。

 

これがリアリズムの結論だ。

 

しかし、この決着は、やはり、感情的に、納得できないものがある。

 

攻め込んだ方が得をするとなれば、ロシアは同じようなことを繰り返すだろう。

 

他の国も、同じようなことをするだろう。

 

感情的には、ロシアが撤退し、クリミア侵攻前のウクライナの領土が回復されるのが望ましい。

 

力が支配するこの世界では、所詮感情など、意味のないものだということになるのだろうか。

 

ロシアがこの戦争を始めた原因は、NATOの東方拡大だ。

 

ウクライナがNATOに加盟し、ウクライナに核兵器が配備されたら、ロシアは重大な危機に晒されるから、それを防ぐためだとロシアは言っている。

 

しかし、冷戦期は、東ドイツまで、ソ連の勢力圏だった。

 

その時、ヨーロッパで、東西両陣営の間で戦争が起こっただろうか。

 

いや、起こりはしなかった。

 

今度は、ウクライナまでNATOの勢力圏になっても、ロシアは安全だ。

 

プーチン大統領の杞憂である。

 

ということで、ロシアは、兵を引いて、ウクライナのNATO加盟を認めてほしいと思う。

 

そもそも、軍事同盟は、加盟国が増えれば増えるほど、力が弱くなる。

 

利害関係の差が大きくなり、意思統一ができなくなるからだ。

 

だから、ウクライナがNATOに加盟しても、ロシアは安心だ。

今朝、オレオレ詐欺で中3女子が逮捕されたというニュースがあった。

 

オレオレ詐欺。特殊詐欺。

 

ここ数年、このニュースが途絶えることがない。

 

匿名・流動型の犯罪、つまり、匿名の者同士が集まって、構成員も流動的な集団で、荒っぽい犯罪を行う手口も多くなっている。

 

社会現象の背後には世相がある。

 

世相の背後には、その時代に共有されている感覚がある。

 

その感覚は、広く読まれた表現物から芽を出し、育ったものであることが多い。

 

で、私は、この特殊詐欺という現象の背後にカイジの世界観があるのではないかと、ずっと思っているのだ。

 

カイジというのは、「賭博なんとか伝 カイジ」という漫画のことだ。

 

この漫画。私は嫌いなのだ。

 

まず、絵柄が嫌いだ。絵面を見るだけで、読む気がなくなる。

 

ということで、私はカイジをほとんど読んだことがない。

 

試しに少し立ち読みしたことがある程度だ。

 

それも、すぐギブアップした。

 

という訳で、カイジについて、知識は少ないが、一定のイメージは持っている。

 

カイジという男性の主人公が、意味不明な悪人の企みにはまって、法外な理不尽な競技をさせられる。

 

カイジはその競技のルールの裏をかいて、勝って、大金を手にする。

 

こんな漫画だと思っている。

 

この漫画、大ヒットしたようだ。

 

大勢の子供・青少年が読んだことだろう。

 

大人でも、好きだという人を見かけるぐらいだ。

 

このように、一部とは言え、広く読まれた漫画は、世相に大きな影響を与えると思う。

 

要は、次のようなカイジ的の世界の感覚が広がっているのではないだろうか。

 

『この世の中は、理不尽極まりない状態だ。

 

今風の言葉を使うと、クリアするのが到底不可能(無理)なゲーム、つまり、無理ゲーだ。

 

普通の手段では、みじめな人生があるだけだ。

 

普通に生きていれば、強者の食い物にされるだけだ。たとえば、ブラック企業の餌食になるだけだ。使い潰されて、心身ボロボロになるだけだ。

 

ならば、裏をかいてやろう。

 

一攫千金を狙ってやろう。

 

この理不尽を許容している世界に勝ち、この世界を罰してやろう。

 

この理不尽を許容する悪の世界に、立ち向かうにはそれしかないし、この世界に俺を止める資格はない。』

 

という訳で、少ししか読んだことがないのに、世相の責任を負わせてしまって、申し訳ないが、

 

カイジの絵柄、荒んでいる絵柄に、この社会が似てきていると思うのだ。

 

カイジがヒットしたのは、多くの人がそこにリアル感じたからだと思う。

 

美しい絵空事よりも、リアルの方が価値がある。

 

でも、リアルばかりだと、社会はおかしくなるとも思う。

 

ヒットする表現物は、その時代の人々の要求(需要)に応えるものだ。

 

そして、同時に、その時代の感覚に大きな影響を与える。

 

表現物は相互作用の中で、時代を作って行く。

 

オレオレ詐欺で捕まった人たちに、どんな漫画を読んで育ったかを聞いてみたいものだ。

みなさんは、たまに思い出して、「あれ何だったっけなー」と思うけど、思い出せないことってあるのではないだろうか。

 

私には、ある。

 

それは、ある歌のことだ。

 

子供時代に聞いた歌だ。

 

多分小学校に来たか何かで、聞いたのだと思う。

 

盲目の男性のおじさん。薄い色のサングラスをかけていたと思う。

 

その歌の出だしは、記憶によると、「生まれて生きて あなたに逢って」というもの。

 

この部分のメロディも、なんとなく覚えている。

 

その時、レコードを買った。

 

そのレコードの表の写真も、覚えている。

 

で、この歌。一体、どんな歌だったのだろう、その歌手の名前は、何だったのだろうと、たまに思い出しては、いろいろ検索をかけたりするが、情報を見つけることができない。

 

さっきも、ふと思い出して、あの歌、何だったのだろうと思った。

 

そして、数か月前に、ついに検索でヒットしたことも、思い出した。

 

ヒットした時は、嬉しかった。

 

やっと突き止めたという思いだった。

 

そして、今日、また思い出したけど、そのヒットした時のことを一切思い出せない。

 

あれっ。ヒットしたのって、夢だったのだろうか???

 

焦った。やっと見つけたのに、また忘れてしまったのか。あわてて、あれこれ検索するが、見つからない。

 

手を変え品を変えで、検索して、やっと再びヒットした。

 

もう忘れることがないように、ブログ記事に書いておこう。

 

アーサー大野と大野佳代子の「うまれて生きて」という歌だった。

 

アーサー大野というのが歌手で、夫婦で回っていたということだと思う。

 

前回、みつけた時、ユーチューブでも検索したけれど、見つからなかった。

 

誰も覚えていない、誰も思い出さない歌なのかと思った。

 

たった今、検索すると、なんと、試聴できるサイトがあった。

 

3番まであるが、2番まで試聴できる太っ腹!

 

40年ぶりに聞いて、感無量だった。

 

予期に反して、ボサノバ調で、ジャズっぽい感じだった。

 

もっとピアノとギターのフォークソング風だろうと思っていた。

 

歌詞の出だしは、私の記憶では「生まれて生きて あなたに逢って」。

 

実際の歌詞の出だしは、「うまれて生きて あなたに逢えて」。

 

ほぼ、そのままだった。たしかに私が聞いた歌だ。

 

正直、いい歌かというと、微妙だ。

 

「ファイン コミュニティ」と繰り返す歌詞が怪しい雰囲気満載だ。

 

それでも、長年気になっていた歌に再会できて、大部分を再び聞くことができた。

 

何か、一つの宿題を解けた気がする。

 

本当に、長い長い宿題だった。

 

解いても何にもならないけど。

 

学校に来たのかなぁ、それとも、チャリティコンサートに親が連れて行ってくれたのかもしれない。

 

ネットで検索しても、中古レコードの販売のページがヒットするだけ。

 

かろうじて、一つ、ブログ記事があった。

 

この私の記事が2つ目になるのだろう。

 

とにかく、もう忘れないように、ブログ記事にした。

静岡県の伊東市の市長の学歴が、大ニュースになっている。

 

もともと東洋大学卒業としていたのが、除籍だったと言い出した。

 

しかし、卒業証書は持っていると主張している。

 

問題は、市長がその卒業証書を検察に提出すると言っていることだ。

 

刑事訴訟法第191条第1項は「検察官は、必要と認めるときは、自ら犯罪を捜査することができる。」と定めている。

 

つまり、本来、捜査の任務を負っているのは、警察の方なのだ。

 

検察が捜査をするのは、検察官が「必要と認め」たときに限るのだ。

 

被疑者の側から、検察で捜査してほしいと指定することはできない。

 

希望を伝えることはできるが、検察が断ればそれまでだ。

 

今日の午前中、百条委員会が開かれ、市長に百条委員会に卒業証書を提出するように請求がなされた。期限は18日の午後4時だそうだ。

 

市長は、どう対応するのだろうか。

 

あくまで検察に提出しようとするのか。そもそも検察は受け取るのか。

 

市長が検察又は警察に卒業証書を提出し、検察又は警察が受け取ったときは、その卒業証書は領置されることになる(刑事訴訟法第221条)。

 

もし領置されたら、それは百条委員会に提出できない正当な理由があることになるだろう。

 

検察又は警察が受け取らない場合は、百条委員会に提出するのを拒む理由はないと言えるだろう。

 

なぜ、こんな大問題になるのか、不思議でならない。

 

市長が持っている「卒業証書」を率先して議長・報道機関などに見せれば話が速く進むのに。

 

市長が自分で事態を大きくしているように見える。

 

公職の候補者は、立候補の時に、選管に学歴を証明する書類を提示又は提出するように、公職選挙法に規定を置いたらいいと思う。

 

あと、もう一つ思っているのだが、居住用件を満たしていないのではないか、いや、満たしているという不毛なやり取りをなんとかできないものだろうか。

 

たとえば、立候補予定者が自ら役所に行って、その時に確かに役所に来たという証明書を取れるようにしたらどうだろうか。

 

3か月前から、月に2回ぐらい証明書を取っていたら、それでOKということにすればいいと思う。

 

居住用件が、いくらなんでも、不毛な争いのもとになっている気がするのだ。

最近、将棋がブームだ。

 

私は、最近、将棋の魅力にはまっている。

 

①ゆっくりであるが故の劇的さ。

 

インターネット上で、将棋の対戦の実況中継がリアルタイムで流されている。

 

それを視聴していると、じれったいぐらいゆっくりだ。

 

1手に1時間も2時間も考えてから指すことも、普通にある。

 

まどろっこしいのだが、ゆっくりだからこそ、事態が急変した時の劇的さが高まると感じる。

 

手軽の娯楽では得られない、ハラハラドキドキの展開。

 

②順序立てて、先を読むこと。

 

詰将棋もすばらしいと感じる。

 

自分がこうすると、相手の対応は○通りありうる。そのそれぞれについて、自分の対応は○通りありうる。そのそれぞれについて、相手の対応は○通りありうる。

 

このように、現在の状況から、未来を筋道立てて読む。

 

詰将棋は、これをやらないと、正解できない。

 

すごくいい脳トレになる。

 

そして、この場合分けして未来を予測するという作業は、人生を生きていく上で、大事な能力だと思うのだ。

 

そういう意味で、将棋は子供の習い事として、適しているように感じる。

 

小学校の授業科目にしてもいいと思う。

 

私も、今さらだけど、詰将棋をやって、この習慣を身につけようと思う。