息子や娘が結婚しないと言われ、
家のお祓いに伺ったとき、
西の離れに孤独で寂しい年老いた老人の霊がいるから、
離婚や出戻り、短命や結婚しない人が多いと分かった。


そのおじいさんは三男で
苦労した母親だけを引き取り、
亡くなってから仏壇を受け、
母親と先祖代々の戒名を祀った間違いを訴えていたと分かり、
余分なお位牌を納めてから結婚の縁ができた。


この意味が分かる家は少ない。


と言うよりも信じてもらえない家が多い。


それは祀ることが良いことを思っているから。




また最近では百年の法要ばかりか、百五十年の法要までしなければいけないと言うお寺さんがいる。



私が説いている魂の原理を知っている人なんか、


「本当に百年の法要をしなければいけないの?」


「見ず知らずの先祖のために親戚縁者を呼ばなければいけないの?」


と問い合わせがある。



そんなとき


「そんなのあり得ないしそんな法要をするよりも子供を守ることが供養だね」


と言ってあげるけど、なかなかそこまで問いつめてくる人もない。



幼く亡くなった子供や独身で亡くなった姉弟などは、三年の法要で納めてやらないとつぎから次へと同じことを繰り返してしまう。



特に多いのが水子の霊を祀っている家が多いが、水子を祀れば同じように子供の代や孫の代まで水子になりかねない。



宗教は先祖を祀ることを教えるのではなく、隣近所との付き合いや親子の絆、嫁と姑の絆、立場と順序などなどを、説いてあげる方がいいじゃないのか。