離婚して独り暮らしの母親が病んだので、
一人娘なので主人(長男)の許可を得て引き取ったが、
その直後に義母が心不全と交通事故で骨折し、
泣きっ面に蜂になったばかりか、
母親が毎日拝んでいた仏壇を娘が代わりに拝み始めてから、
主人が脳梗塞で入院してしまった。


それは母親が両方の先祖や親戚の有りとあらゆる戒名を拝んでいたからである。


なぜ離婚してまでも陰祀りをするのか?


いっさいの陰祀りを納めて別れた夫へ


(あなたの命に出会えてありがとう)


と心を向けてから禍が治まった。




なぜ陰祀りをさせるのか?


また求めるのか?


誰でも親がいて先祖がいるから尊ぶのが悪いのではない。


宮本武蔵が言った。


(神仏を尊んで神仏に頼らず)


まさにこれだと思う。


だが宗教も信者も先祖の方に心を向けさせている。


例えが違うかも知れないが、小学校を卒業したのにいつまでも懐かしんでいるのと同じじゃないのか?


もっと違う例で言えば、


うつ病になった。


非行に走った。


登校拒否になった。


胃ガンや肺ガンに冒された。


これらも同じことだと言える。




それは過去の体験だから。


それを卒業したと思うことと、何か方針を変えなさい。


・親の心を改めなさい。


・親が作った罪を子供が受け継ぎ孫が現している。


・本家と分家の立場と順序を守りなさい。


・おじいさんやおばあさんの兄妹の長男嫁を大切にしなさい。


・お父さんやお母さんの兄妹の長男嫁を大切にしなさい。


・隣近所を飛び越えて親戚や身内と仲良くするのを控えなさい。



最近の風水でも同じことが言える。


自分の家さえ良ければいいと解釈できる。


昔はお隣さんとの共存共栄を計って家を建てた。


それを無視して家の中の風水を重んじている傾向がある。


もっと夫婦を信じ合うことが必要じゃないのか?


お隣さんとの交流が必要じゃないのかな?