妹(二女)が両親と先祖の位牌の陰祀りをし始めた頃、
縁を切っている兄(長男)が病み始めたと分かり、
いままでの罪を詫びて納め、
行き来をするようになってから兄の病が治った。
そんなバカなと思うかも知れないが、このような実例も多い。
二女と長男は同じ魂で結ばれている。
命は限りなく導いてくれている。
魂は誰にも導いてくれる。
だがその導きは本当に導いてくれているのか分からない。
昔から第六感を働かせるととか虫の知らせを感じていた。
それを親切心や宗教心で失われてきた。
宗教心と信仰心の違いは、
宗教心は教義を信じて、信仰心は己を信ずることと解釈すればいい。
信仰心でなく宗教心で物事を判断すると、
(ここ)の罪が何も関係ない(そこ)や(あそこ)に降りそそいでくる。
だが宗教は
「徳を積みなさい」
「功徳を積みなさい」
「先祖がいるから今のあなたがいる」
「浮かばれない先祖を救いなさい」
「墓参りを真剣にしなさい」
「お経を唱えなさい」
とそれぞれ勝手なことを言って会員や信者数を増やしている。
立場と順序を守らない供養や墓参りは偽善の罪になる。
陰祀りほど罪が深いものはない。
だがそれを信じてくれない人が多い。