【 ずるいね、 】 洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )




18s弥生五日)

本年正月 学生時代からの友人マダムと

箱根駅伝を見に馬場先門に行った

大手門駅を出たところで駅伝の為、地下鉄駅は閉鎖に為る ついでながら「将門の首塚」を見にも行った、
帰りがけランチでのとりとめの無い会話の中で

今でもお元気な義父の元朝日新聞取締役の中村氏の話しや、

《「 上げてこないのだよ 」、社下部組織が握り潰しての話しを思い出しながらだ、》


17年、師走の衆議院選挙後、友のマダムに
ニュース等でその者の姿がよく見る、
その者から聞いたのは「私は恫喝されている」
脅されたと言う人物は、どのように為されたかも話してくれた、
中村家方に危険も含まれるかも知れず 内容は言えないと、 どのような類いの事が出るか判らんゆえと伝えた、
この、此方の十年来の国政方からの懸案の話しをば伝えてたら、
マダムいわく 「その人 ずるいね」と感想をば云ふ、

なるほどと思った、


何処で此方とリンクするのか と、思っていたが

「ずるい」とは考えていなかった、
matter案件事に変えられる事も 考慮せねば為らぬ、「知らない勝手に言ってる」程度ですまぬ事だが、内容は伝えられなひ。
 

"  案件ごと 私と会った事は無いと言い出した徳仁皇太子現天皇 "

子供の頃からの邦国で生活して、知り合い、七才からの友を介して天皇家より面談が会ったが 事前内容、会う相手を友は言わなかった、友である、此方は子同士の付き合いとしか、思っておらんが、
大人達は私を見に来る、
廿代半ば中年頃、初老過ぎ迄続く友を介して、用があるとの事で出向けば、
竹下登総理 徳仁天皇(皇太子)他の色々な話などある、

徳仁天皇は廿代での其の面談、「オーム心理教と靖国社神主との面談の其の事、知らないと言ったらどうする」と後に襲撃拉致された人への偽装の行動中の会談で達の悪さの、言  が有ったが、
こいつ徳仁皇太子は立場上利用し日本名で大人しく幸せに暮らす友人を使い引っかけ近い形で呼びだしゃかった、
(襲撃の後の会談中の上記発現に此方は相手に言明しなかった、" 隠し剣"カードでもあるが、行動を先にする、本懐本筋ある、)

叉、
私と親しくの友でほぼ人物が特定出来る、中で情で物事決めぬことは子の頃よりの親友の彼は知っている、

何度かの"こちら"と徳仁天皇(皇太子から)会談等は有るが、"朕はしていない"そうだ、
その朕は襲撃時の事は 斜めになりながら、認めている、 気弱者の必死だろふ、




「08s陛下と皇太子との話しあい 1」livedoor

http://blog.livedoor.jp/tokugawawakou/archives/1065713752.html

「08s陛下と皇太子との話しあいを2」

http://blog.livedoor.jp/tokugawawakou/archives/1067982366.html