【 はしる 大川橋之景 改】 洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

(16s 文月廿二日)

水無月の晦日近く
日々事であちらこちらと進み、

大川に架かる橋 随分渡る最中に、回りの橋など写真をば
撮ってみようと思い立った


(両国百本杭)

千住方には 用無しで進まなかったが
住まいは白髭橋横、
白く塗られた橋で 此の橋は明治期に架けられた物で橋横に明治帝の行幸の碑文が置いて有る
橋をば渡り向島百花園に園遊に進んだと云う、

此の近くの道ちっとばかし箕輪に まっすぐ道を進めば 平賀源内墓跡の石柱など立ってる、
御存じ 土用の 鰻、 流行らした江戸の文化人だ
源内石柱を進むと千住大橋にあたる
隅田川で最初に架けられたのが千住大橋で
関ヶ原の六年前だそふだ、関東代官頭伊奈忠次が 架けた

かの時代に大川に橋を架けるのは おゝごとだったろう、
伊奈家 伊奈忠次から子の 伊奈忠治、
そして孫の伊奈忠克と
江戸の治水と橋梁に尽力をばする、

偉いものだ

神川  坂東太郎 利根川を
          申しと   頼んで     水揚げし
 手練手管で袖に曲げ   ちよいと引っ張り
     海路 遥かに      
                         行ってらしゃひ

 水商売とは こうでなくては  ならねひ  、 

さて、こちら
大屋根(浅草寺だよ)奥の待乳山から今戸橋をば渡り花川戸へ つん進み、
両国橋迄来て
件の事を思ひ出し、 始めの一枚


 幕府は千住大橋以外に御府内 守備の為、橋を架け無かったが
太平の世と成り四代 徳川家綱公方 の時に、
大川二つ目の橋として両国橋が出来た

向島側は江戸町大火の時の火除け地にあてた
武蔵と下総を結ぶ橋

両国辺りは 大川の中でも川水が早く
緩めるために杭を打ち込み
「両国の百本杭」と言われ魚釣り格好の場となった

今の両国橋の柱に乗っけてる玉は 花火玉をあらわしている  

叉 此の近場
 蔵前橋と厩橋の間に私設の石川五右衛門神社と言う物が浅草寿丁に有り、
元は豊臣方から徳川直産になり、永らく住まいをしていたらしひ

石川五右衛門を茹でたのは我先祖、その釜をば 此の地に埋めて
社をば建て長きに奉り候ふ 、
此をば大事にと 言い残し 住み替えたとさ
こないだ見てみたら まだ有った、


此の浅草寿丁には「寿司屋職人紹介所」と言う 馬鹿に珍しい口入れ屋が有り
地の面白いもんだ


温進み 厩橋をば撮りにいった、

背のしくひ橋、太い柱が青く塗られている
竹色のつもりか、
竹馬の友 の判示ものかねひ

支えの柱の太さが見事だ、
それにぶつぶつの鋲が実に ぶつぶつ としている 
馬鹿に大した  ぶつぶつものだ 

明治以降の浮世絵には鉄柱橋 以前のたゝ住まいが 見れる、
時代により墨引きが違ふ
三代徳川家光公方頃は
浅草橋見附門 迄を江戸城、御府内になり

浅草は 浅草町として囲っていた
厩橋はその間に為る この先が駒形、
浅草寺裏手ぐらいは浅草田圃と言ふ
川沿いはのどかな景だったろう

並木 駒形 吾妻橋、    ちょい寄せて
  向島行きなんせぇ

 茶屋へ行く       

まだ帰ららんのだ


にぎやかな橋 吾妻橋 渡って 直ぐに 朝日の黒い摩天楼には びたっと 黄金色の 固まり が盛ってる、
側の役所には 勝安房守 麟太郎の像の頭には鳩のな、固まり が びたっと、


向島 言問橋 横は水戸徳川藩邸跡で泉水庭園に牛島神社に続く公園に為り、
木々が深く鳥がいる
都島を良く友連れした 白目の小かもめは春は良く見掛けるのだが、
辺りが初夏の気配になる今頃はゐなくなる、


汗日頃は鷺だ、
近くでぎゃあと やられると
何事だ、と 関東頼朝討伐の平家みたひに 身構える程の人の乎哭き声の如くの 鳴きをする

進んで枕橋へ

元は 源林橋 と言い、先に名を上げた伊奈忠克が寛文二年に関東郡代で架けた橋
渡しの舟頭の源兵衞の名から来たらしい、
粋筋の町だから
八百松と言う料理屋が流行ったらしひ

甘々には 、言問団子に支満ん草餅やら 吉備団子やら 持って 百花園にお散歩行ってらしゃひ、
こちらは喰うの見ててやる

枕橋の上にスペーシアがゐた

この日には 寄せず桜橋を渡ってしまったが、

この先に榎本武揚晩年の屋敷跡 梅若公園等がある

合羽橋松葉丁から住み替えたばかりに此の辺りだったなと 探索しに進んで、
迷って
三間程の路地の中 小学校脇に素敵な駄菓子屋をば見付けた、

風雨に染みた 鎧壁の渋い木造家作
其処に爺さんがしとり
奥に座して子等が菓子を決め 銭を出す迄
の間を ぢっと外を観ながら待っている

隣が湯屋で その神殿造りの玄関と狭い路地と駄菓子屋が相まって  素敵だった
こんな家作で
晩年は 青菜に塩 見たひに
しおれるのも    わびさびだぞ、


見た


見たので


帰る、



(16s 文月廿弐)





(墨田区工芸
          江戸木箸)

「ohkawa……」
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「大川端浅草大屋根辺春之景」 洛中思案
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