【 七かけ 】 洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

16s 皐月 九日)

武士の給金で 五十石取り と言うのは銭金に替えれば幾らかと、

良く五十石取りで贅沢は出来ない暮らしと思う方もいますが

徳川幕府約二百七十年間ですから物価は変わりますが、
はたして、どうなのか


「白石同盟提督 長岡藩執政 河井継之助」の御親族 斎藤家の御親造から
簡単な石高から計算の仕方を習いました

斉藤氏御夫婦は従姉どうしの結婚ともに 長岡藩御用人 勤晩を務め、両人とも提督 河井継之助とは近い子孫方に為ります


こちらの石高の勘定は
五十石取りなら直産も藩士も五十石の二割五分(25 %)が手取り
50 ×25 %=12.5   十二石半が手取りとなる、
一石=一両一分 で計算
12.5  × 1(両)0,25 (一分) =15.25 約(十五両一分)
と、こちらは勘定をはかっており、
此の話をば云うと

それは様 面倒でないかひね、簡単な仕方があるけ

ほうけ?

七掛ければ 出る
五十石×七=三十五  
五十石から今度は三十五引けば、十五 と言う 数が残る

なる程と合点致した
五十石取りで貧しい暮らしでもないと思う

他に
武士の給金の五十石でも藩の窮乏により、藩が藩士より「御借り上げ」と言う事が有ります
ようは、五十石取りの地位は変えないが、二十石は減給で 手取りは三十石と言う事


千五百石の石高からは
領主が直接に石高徴収に為り、40 %が領地よりの年貢になり計算がちっとばかし 変わり
四公六民となりますね 大体 五掛ぐらいに成りますね
そうは言っても幕府直産叉藩士等は幕府、藩にあわせた年貢換算の手取り石高だったようです


聞いて良(ぇ)かった

あれでないかひ、長岡藩の者もたまには役にたつがちゃ

こちら 直産、神田は浜田産婦人科の生まれでござんすが 此のぐれひは 御国言葉は知ってる



 裃姿  百石取り因りは騎士とも言ふ


御国表が有ればね、
     安泰、

さて さて
どうするか……


「えぇっ~!」

「超高速参勤交代
               リターンズ」

【 speaking大江戸 】
江戸言葉
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「 夏は来ぬ 」
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