【望月出雲守屋敷(滋賀県甲賀市】日本史跡研究会長Yahooblog紹介 | 徳川わ廣 のブログ

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(photo :hasegawa )

望月出雲守屋敷(滋賀県甲賀市

2016/1/29(金) 午前 9:10

書庫滋賀県の城館跡


   【望月出雲守屋敷】        評価  

  別   名:        ―――
  所 在 地:   甲賀市甲南町竜法師2331

  築城年代:    元禄年間(1688~1704)

 築 城 者:         望月出雲守

  区   分:         屋 敷

  現   状:      甲賀流忍術屋敷


 望月家は甲賀五十三家の中でも有数の豪族であり、同族二十一家が一味同心してその実力を天下に示したのが、長享元年(1487)、「鈎の陣」である。

 足利義尚が応仁の乱によって失墜した将軍権威の回復を図り、六角定頼討伐の兵を起こした「鈎の陣」。その戦いにおいて甲賀衆は六角方に与力し、足利義尚軍を苦しめたと伝わる。伝説の甲賀忍びである猿飛佐助は望月家の忍びであったとする説もあります。



 この時期には望月出雲守家(代々出雲守を称する)の屋敷はこの地に築かれていたと思われる(初代・望月三郎兼家が築いたかは不明である)が、現存する屋敷は元禄年間(1688~1704)、築かれたものです。

 外見は一般的な日本建築の住宅ですが、その内部は外敵に備えた数々の工夫が施されています。

 侵入した敵を捕らえる「どんでん返し」や「落とし穴」。敵に発見されずに逃れるための「抜け道」や「隠し部屋」、部外者には絶対に開けられない窓や土蔵などの仕掛けがあちこちに施されています。

 甲賀流伝書(虎の巻)、手裏剣や水ぐもなどの忍術に必要な武器・道具類なども展示されています。

 あっ、因みに忍者=黒装束、って思われている人々もいるかと思いますが、実際はこんな装束身に纏っていません



(photo: hasegawa )

 旅芸者や薬売りなど諸国を旅していても疑われない姿で行動していました
 忍びは健康を保つため、怪我や病気の治癒に様々な薬草を用いていたとされます。
 寛政元年(1789)、甲賀から江戸幕府に『万川集海』全二十二巻という忍術書を献上していますが、その中には薬草の使用方法が記されています。

 「望月出雲守屋敷」は城館に含まれるか?正直微妙なところですが……その防御性、中世から続く土豪屋敷ってことで城館扱いさせていただきました。

 訪問したこの日(2015.9.21)はシルバーウイーク真っただ中

多くの人々が訪れていました……がっ、その多くは同市にある「甲賀の里 忍術村」と間違えたんじゃないですか

と思われるお子様連れ

 忍術村はお子様が楽しめる遊戯施設、ここ甲賀流忍術屋敷はお子様は楽しめない(甲賀忍びを知りたいってお子様は楽しめますが)施設。

 そんな屋敷内を自由に駆け回るお子様たち

我々一行は早々に退去しました

 ちなみに屋敷から出てきたお子様たち・親御さんの顔は一様に困惑顔でしたよ。



 甲賀市を訪れる際には、訪れたい場所をしっかりご確認の上訪れてくださいませ

 〔参考資料〕


  甲賀市史 2 甲賀衆の中世                             甲賀市


  現地配布パンフレット