【 横内陣内屋敷跡地 静岡藤枝市横内】日本史跡研究会長Yahoo!blog因り | 徳川わ廣 のブログ

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2015/10/4(日) 午後 6:32

書庫静岡県の城館跡( ←Yahoo!blog)
                                       
 【横内陣屋跡】      評価  

 別   名:      ―――


 所 在 地:   藤枝市横内字堂ノ前
   築城年代:   享保20年(1735)
   築 城 者:    松平能登守乗賢
   区   分:       陣 屋
 現   状:      宅地・耕地
 

                          (御陣屋稲荷)



 享保20年(1735)、美濃国岩村藩主・松平能登守乗賢が幕府老中に任じられ、1万石の加増を受けた。



 1万石加増のうち、5276石が駿河国15ヶ村(有渡郡広野・鎌田・北脇・北脇新田・石部、志太郡宮島・横内・落合・大草・前島・稲葉堀田・助宗・村良、益津郡吉津・下当門の15ヶ村)であり、飛地領統治のため陣屋を築いた。

 代官・手代・目付役の3人の武士が出張、家族ともども駐在しました。
 横内陣屋支配は明治まで続いたが、その領国統治は善政で知られ、135年間14代の代官によって統治されましたが、年貢率は他藩よりも低く、村民には薬

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を配布したり生活困窮者を援助したり、寺社への寄付など行っています。



 地元住民の方も「横内陣屋」のことは知っているようであり、御陣屋稲荷脇の畑が跡地ということです。ということは……何気ない用水路は堀跡?ということでしょうか

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(陣屋の古絵図を何処かで見られたらわかるかと思いますが

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   曹洞宗 西了山 慈眼寺     藤枝市横内179

 慶長4年(1599)、龍谷秀泉和尚が横内村の人々の協力を得て伽藍を建立しています。


                               (代官地蔵と岩村藩士の墓)

 宝暦11年(1761)、初代代官であった田中清太夫を供養するため、代官地蔵が建立されています。

 このことは、横内陣屋代官であった田中清太夫の善政を表していると云えます。

 横内陣屋跡には遺構は残っていませんが、その界隈には多くの史跡があり、「横内歴史案内」もありますので、散策するのも楽しいかもしれません。


  〔参考資料〕


   横内歴史案内(現地配布パンフレット)