【 のりもの弐 】洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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アメーバは比較的にソフトに書いてます
「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

(洗足池 勝海舟夫婦の墓)15/長月吉日


買って四年ぐらひだろか
毎日の様に乗り、遠乗りも随分してきた
難儀な坂上がったり下がったり。
洗足池の勝海舟の屋敷跡地迄散策したり、進んださらは 池をばじゅんぐりと回るさ 然る後、 勝海舟夫婦の墓の前に行きました。
「下っ、様である!」と温と一発食らわしてみたりした、墓参りぢゃねいなへ史跡見分。

先の大君 徳川慶喜公方様におかれましても
駿府の御時代に良く良くバイスクルをば御愛用の事と為り、

ブレェキのままならぬ その時が有って、商家に勇み突き進む事が有ったとも聞き及びました。


シルバーウィークに入って、前輪のギアが壊れた、馬鹿に嫌だねひ。

火の用心  御仙痩せさすな  自転車なおせ。

天道は  秋日和、壊れて無念。