祟り 神 洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

15 /吉日

蔵前、駒形とぜう屋とオモチャのバンダイ本社の間の通りで見付てはいた
たまにとせうの煮きりのがただよふ所で
異国者も江戸時代の情緒に触れたいのか、見世の前で 喫するときを待っていたりする

そこから半町程の所にある

【佐倉の惣五郎の神社】
過酷な租税に徳川家綱に直訴した人、
その後一家張り付けになる話が歌舞伎になり
義民と言われるよふに為った、

福沢諭吉が明治政府の圧政に
わざとらしく惣五郎を称えている

今は銀座新富丁に歌舞伎座が有るが
歌舞伎の殉教物語義民物で流行り猿若町等歌舞伎座がある浅草で奉られたのだろう
それと惣五郎は怨霊になり藩主を祟ったとなってもいる


千葉の成田山は将門を倒した武将を奉っているが、
成田山近く 将門の口という神社が有り、
その社に惣五郎が奉られたのと、
跡を継いだ藩主が若年寄酒井と千代田城で人情におよび  切るという件が有り


藩主が凶行に至ったのは惣五郎の祟りと噂されたのだろふ


入口の門に歌舞伎座と彫られており関係者の寄進だろう



暑いのて摩天楼の日陰ぬっていて
見た

見たので帰る