【日本橋川から大川 】洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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アメーバは比較的にソフトに書いてます
「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )



合羽橋の館もしとり住まいになり、
様よ偶さかには掃除しろ 聞いているかやなど言われるね
あのな、
使わぬ部屋の掃除は面倒ですのよ
越中に祖母宅がある、
先祖代々の場所では無ひ 四代前は領地を捨てて、
長岡藩本家に一家家臣揃って駆けつけた為に場所も変わった、
田中角栄や山本五十六は家臣筋になる
今の祖母宅は日本海味噌蔵本の前だ、
今は叔母と女従姉が住んでる

廿代の頃遊びに行き、客間から雑木林を眺めていた
叔母が来て座して
 ほら、様が四歳の頃胡桃と栗を取りに行ったの覚えていますか
応、覚えております 兄いとこに連れられ始まったばかりの人生の初の胡桃と栗の実を眼目致しました、
 これがかの場所だったのですかと答へ  
ふと考えた、
ぬうぅ、もしやこの林は我家のですか

そう 雪掻きも屋敷ばかりで 手入れ出来んとこなひに成ったちゃぁ
部屋数はいったい幾つあるのかと聞かば 納戸等入れニ十ぐらい
思わず、
なんちゅう だら でないかい
立山町の町中でだ、
祖母宅はおとろしいと思った

合羽橋の拙館は弟の部屋は夏冬物家電などのとんと投げ込む所と成り果てぬ、
母の部屋は 座敷真ん中にぽっんと掃除機が居ます
内裏方々通した客間は窓から入った 
ねず公が チュゥ
小物あっちゃこっちやに押し付けて、たまの手伝いをする、掃除だよ
片付けて 温と座して足りないもの調べれば 紙がない
こちらの如くでもたまには
「人ノ一生ハ重荷ヲ負フテ遠キ道ヲ行クガ如シ急グベカラズ…」
ぐらひは書く
今ある懐紙は事など起き、血油をぬぐうのに必上使えねひ、木挽丁に買いに行くとした、銀座行くんだよ

日銀を観光してね、どう襲うか考えたり、カフェバーで珈琲
ふうらり行く
木挽丁で紙と簡単に掛け軸仕立て出来る軸を買ふ
帰りがけ  日本橋を通ると「おーいっ、船が出るぞーっ」と音声をかけていた
いったい何事と問へば、
「へぇへぇ、江戸の川遊びの会でござんす、しとつ乗りやしょふ、日本橋川から大川、墨田に出やす、霊岸島や清洲橋あたりもじゅんぐり回りやしょふ、乗りなよ、えい、乗りやしょふ」
応、お江戸日本橋から舟遊びたぁこいつは嬉しいひ乗せろ
ならば人間集まるまで暫し待ちやがれと言ふ  
越後屋を見分して待つ事とした、
三越だよ
くだものジュウス飲んでな

舟に相乗りし日本橋川を行かば舟遊びの会の者が回りのビルヂングの由来等を説明してくれる、
見なせい  貨物船の荷物を出し入れした名残でビルヂングの二階三階に荷入れの口があるだの
良く見なせひ
ビルヂングが貨物船のかたちしてくれる、
あれを見なせい、
澁澤栄一が願掛けしてた茅場丁稲荷だぁ、
聞いてな、川から見てな  愉しひ

大川に出れば良く揺れる、これも愉しひ
佃島の高層摩天楼は川からみれば見事におっ立っていやがる、
古い石垣も見れた
普段は見れねい日本橋の下も見れてよかった
あのな、
日本橋に書かれてる「日本橋」の御文字は第十五代大君 徳川慶喜公方様の御手による御文字と拝聴し候

紙も買った舟にも乗った  
本日は江戸前のハゼの佃煮でゆるりと呑むと決める

来たので

帰る


(初、「大川  洛中思案」因り13/皐月)


(長岡藩戊辰戦時の旗
Google因り)

江戸紫をば取りたひが
http://ameblo.jp/tokugawawakou/entry-12134594871.html

「愛宕山」洛中思案
http://ameblo.jp/tokugawawakou/entry-12021782508.html