【お宝頂戴たてまつり候ふ 都南散策大井界隈 】 洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

15s.皐月/3


朝ぼらけ、
寝起きの散策に行き 与力とたまさかに会う
どこぞ行かねひか と談合となり、
ひさかたに大井競馬場のフリーマーケットに寄せると話が決まった

雷門を過ぎたあたり小伝馬丁、日本橋あたりは休日でもあり人も少なく
摩天楼の中をついと早がけできます

明治座付近は青々として
はまちょ(浜町)、人形丁も静かなもんだ
ここから築地魚河岸へ向かうと朝だが人出でが有る
築地千両河岸は休みでも、見物人達がたんとゐる

河岸の横を車道をぬって走らば浜離宮の前に温と出る、
此処は海が近く堀の水は潮水で、 大潮だったよふだ、
堀の水位はしくく、
おとと  の背中が良く観た、
観やがれ、
あやつはボラだ、 からすみが取れるぞ かじりてぇなぁ等と
やひと言ひ合ひしながら、
堀を芝浜の方へ

芝浜の大学のあいだや摩天楼の間に白い客船が滑るように行く、

海が近いねひ


高輪高木戸ここは江戸の出入り口だった近くに勝海舟も住んだ田町もある、
木戸門をくぐり
三田、品川境の坂で一服し 品川神社 から青物横丁 を進む

立会川は罪人を鈴ヶ森刑場に引き立てて行く時縁者が最後に見送る所
ゆえについた川名だそうだ、
鈴ヶ森で罪人をくすぐるんぢゃねひよ

ポーンとな、
 
 つん飛び

最も笑う首がねひ

ここも細かいボラが群れていた、今は町中でも川に潮が寄せる、
川も磯のな、におひぢゃん
与力は路地裏を知っており あみだに進み道を稼いだ、通りに出てしばしに行かば大井競馬場前に出る、



大井競馬場いっぱいのフリーマーケットはそれは見事なものだ、
与力とあちらこちら見て一服
与力は ここでやってる 焼そば屋の大根の味噌汁がうまい、
とうぢゃと言うので
応、喫しよふ、
車屋台で商っている見世で、盛りも良く
名代の大根汁はかつぶしの濃い味わいが良ひ、
馬糞の入った馬場の砂を ちっとばかし かぶった馬場の食い物は旨いと、
作家山口瞳が書いていたがそうかもしれん

朝方のどろぼう市、大井競馬場のフリーマーケットで求めた物は
「中東風陶器 ふた物」
「洗い朱色の漆器大皿」
格安で手に入れ  満足 したり 成り、

ここに来て、 与力は呉服を見て回り
「見なせひ、GAP のフィールドパーカージャケット、形も良ければ、痛みも汚れもねひ、わしが受けるぜ、儲けた」
と悦にいっていた、

良ひ事の後に
得てして真逆のあしき事も有るものです、
与力喜びて
「実に良い名代の品を手に入れて、わしは良き日ぢゃ茗荷ぢゃぁ」

喜び勇んだ矢先に

「応、てめひ  おびき寄せたは 閉めこのうさぎ、 命まで取るとは言わねひが、身ぐるみはいで   置いて行け」

「なに  何と、わしが お宝をば取るのかへ、 共に一緒にここまで来た中で これは後生じゃ、堪忍おくんなせい」
四の五の言わせずフィールドパーカージャケットをばぶん取りました

したりなり

ふた物陶器も与力が朝おごってくれたものですなぁ
実に良い品々をばカツアゲした