初めて自分を客観視したのは、小学校4年生のときだったかな。

 

 

その「視点」は、突然現れた。

 

 

僕はいつも通り小学校に通い、体育館の方に向かって廊下を歩いていた。

 

 

体育館の方を見ている自分。

 

 

もう一人の自分は、僕を見ている。

 

 

もう一人の自分は、体育館の方に向かって廊下を歩く、僕を見下ろしていた。

 

 

これは僕の実体験です。

 

 

この日以来、自分のことを客観的にみる視点が当たり前のように身についた。

 

 

そして、その様子は、どこか落ち着いていて、大人びているように、他人の目からは映ったらしい。

 

 

それからの僕は、もしかすると、普通の人よりは感情に振り回されることが少なく過ごせてきているのかもしれない。

 

 

大人になって、お酒を飲めるようになって、飲み会でみんなが酔っ払って、自分も酔っていてふらふらしていても、どこか自分のことをを冷静に見ている、そんな視線をいつも感じている。

 

 

誰かに怒られたりして、情けない姿をさらしてしまっても、そんな自分を客観視すると、ちょっと笑えたり、愛おしく思えたりもしてくるものだ。

 

 

この「視点」はなぜ、僕のもとに訪れたのか、さっぱりわからない。

 

 

でも、こんな自分を俯瞰する「視点」は、意識の持っていきかたによって、いくらでも身につけることができる。

 

 

それは、自分の人生をも、俯瞰して見ることにつながる。

 

 

今、僕は人生のどん底にある、かもしれない。

 

 

普通だったら、悲嘆にくれてなにも行動できなくなっているだろう。

 

 

でも自分を客観視して、俯瞰で見ることができていると、ここから逆転するってことがわかる。

 

 

誰よりも自分の人生に期待することができる。

 

 

だって、自分の好きなアニメとかでたとえてみたら分かるでしょう。

 

 

何でもいいけど、ドラえもんの劇場版を見ていたとしよう。

 

 

途中でジャイアンとスネ夫がやらかしたりして、ピンチが訪れたりするよね?

 

 

でも、最終的には、ドラえもん側は敵キャラに勝つハッピーエンドがあるんだろうなって安心感が、どこかにはあるわけです。

 

 

ドラえもんが亡くなるバッドエンドなんてあり得ないでしょ?

 

 

あなたの人生もそれと同じ。

 

 

絶対に後の方には、素晴らしい結末が待っている。

 

 

それを、何の根拠もなく信じられるか?

 

 

人生とはそれができるかどうかなだけの気がする。

 

 

 

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