<奴隷行進曲>

  小学生の頃の話である。9歳の頃、父の転勤で家族でアメリカへ移った。もちろんその当時は日本人学校なんてしゃれたものはない。いきなり普通の公立の小学校に放り込まれたのだ。私はまるで赤ん坊になった気分だった。まわりが言ってていることがさっぱりわからぬ。

 

 

 生まれて初めて自分のお小遣いでLPを買ったのもこの頃だ。巨大大型スーパー「Kマート」レコード売り場で手にしたのがストコフスキー指揮、ロンドン交響楽団の「第九」、帰宅し早速ステレオで聴いてみたのだが、圧倒的な迫力に打ちのめされた。その勢いで数か月後、やはりこのコンビネーションにつられて別のレコードを購入した。

 

 今度は典型的なジャケ買いで表紙には大きく双頭の鷲の絵が、そしてその上に「FIREBIRD」、このレコジャケ、かなりのインパクトがあった。表題曲はストラヴィンスキーの<組曲 火の鳥>、B面にムソルグスキー<はげ山の一夜>、チャイコフスキー<Marche Slave>、おまけに指揮者はストコフスキー...私はこう思った。

 

 

(このレコードの成り立ちは、きっとスキーつながりだな...)

 

 

 どの曲も小学生の私の心をわしづかみにした。このレコード、何百回聴いたことだろう... 私はこの当時、肌身離さず辞書を携帯し、わからない単語は片っ端から引きまくっていた。

 

 チャイコフスキーの奴隷行進曲?気になるタイトルだ。

 

 わくわくしながら針を落とす...

 

 ズキュ~ン!!、ズキュ~ン!!、ズキュン!! ズン、ズン、ズン、 ズキュン!! ズン、ズン、ズン... 強烈なコントラバスの響き、いったいこのオケには何人のコントラバス奏者がいるんだ!?

 

 重苦しいメロディー、そう、きっと奴隷の一日の始まりだ。ピラミッド建設のような重労働に従事させられている肌の黒い奴隷を想像した。不安は高まり、クレシェンドしていき、大音量に達する。奴隷たちは最高潮にこき使われている。弱ったもの、疲労で動けなくなったものの背中には容赦なく鞭が飛ぶ。(鞭の音はシンバルで的確に表現されている。)

 

 やがて日は暮れるのだが、おや、ここで曲調が変わったぞ...明るく、希望を感じさせる曲調だ。そう、きっとこの奴隷は何らかの理由で自由を手にしたにちがいない...明るい行進曲は絶頂に高まり、やがて大海原へ漕ぎ出す... 

 

 とここで最初に聴いた不安なメロディーが顔を出す... そう、追手だ!彼は必死に逃れようとするがそうは問屋がおろさない... ふたたびあの強制労働場につれもどされるのだ!最初のAメロディーが繰り返され、大体の展開は最初と同じだが、トランペットがパパパ、パッパ、と鳴る。そして少し希望と羽ばたきを感じさせるメロディーが顔をのぞかせるのだが...

 

 彼はきっとこう思っているのだ。(ああ、もし俺の背中に翼が生えていたなら、このどこまでも青いそらに飛んでいけるのだが...)そして天を仰ぎながら絶望的にこうつぶやく...(神よ、水、水を...)

 

おっと、ここでまた完全に曲調が変わる... ティンパニーがトン、トン、トン、トン、と落ち着いたリズムをきざむ... ゆったりとした堂々たる行進曲である。このティンパニーのリズムは、完全に地に足がついている。今度こそ、本当に自由を手にしたのだ。オケ全体が歌い始め、やがて大団円へと導かれるのだが、コーダに入るちょっと手前に、メジャーだった行進曲の中にマイナーコードがちろっと顔をのぞかせる。

 

 く~~っ、いいねー、にくいぜこのーっ、泣かせるーっ!!私にはこう言っているように聞えた...(苦しいこともあった...悲しいこともあった...しかしこうして今は自分の意志で歩いている... しっかりと大地を踏みしめて、勇気をもって自分の人生を踏み出そうではないか!!!)

 

 それにしてもこの曲、題名と曲を聴いただけで、なんにも考えていないのに勝手にまぶたに次から次へと物語が展開していく...このチャイコフスキーという作曲家、なんて、なんてヤツなんだ!!...

 

 

 


 

 

 

 それから少しづつではあるが私の英語は上達して行き、みんなと一緒に授業も試験も受けられるようになっていった。おおざっぱにではあるがレコードの解説も理解できるほどになった。

 

 この曲は1876年にトルコとセルビア間に紛争が起こり、(ロシアはセルビアを支援していたのだが)チャイコフスキーがセルビア負傷兵のための慈善演奏会のために作曲したものであり、すなわちこの場合のslaveはスレーヴと英語読みするのではなく、スラブと読むべきであって(あのドボルザークのスラブ舞曲と同じだ)、チャイコフスキーの、ロシア人、そしてスラブ人としての誇りと尊厳を高らかに歌い上げた楽曲であり、奴隷(slavery)とは なんら、いっさい、関係のない曲であるということを知ったのは、初めてこの曲を聴いた数年後のことであった...