フーガに始まり、フーガで終わるベートーヴェン | Beethoven's works collectorのブログです

Beethoven's works collectorのブログです

♬ベートーヴェン愛好家・作品収集家です。
♬2001年12月〜

ブルックナーの交響曲に難解なフーガが書き込まれている。

彼は、ベートーヴェンの音楽から得たもの、影響を受けたものがある。

フーガもその中の1つだと知った。


『フーガと言えばブルックナー』と言われるくらいだ。


ブルックナーにフーガの魅力を教えたものに、ベートーヴェンの作品もあったのだ。


ベートーヴェンは、フーガをバッハから影響を受けたと思われる。


ベートーヴェンは、初期からフーガを取り入れていた。オルガン曲はもちろん、あの弦楽四重奏曲も、実はベートーヴェンは若年から着手していた。


巷では、『ベートーヴェンは弦楽四重奏曲はジャンルの中では後半(と、言っても1800年〜)に着手した』と言われているが。


実際にはそうとも言い切れない。


1795年に、ベートーヴェンは弦楽四重奏曲と思われる作品を書いていた。


『弦楽四重奏のための前奏曲とフーガ  ヘ長調 Hess 30』

Prelude and Fuge in F major for String quartet Hess 30

『弦楽四重奏のための前奏曲とフーガ ハ長調 Hess 31』

Prelude and Fuge  in C major for String quartet Hess 31


この時代のベートーヴェンは学習期の真っ只中で、ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツべルガーの下で学んでいた。その時に書いた作品だ。ベートーヴェンは弦楽四重奏曲はおろか、フーガに対しても既に着手し、拘りを持ち始めていた。生前には『弦楽四重奏のための前奏曲とフーガ』出版はされなかったから、よほどのベートーヴェン好きじゃない限り、あまり知られることも無い。


タイトルはまるでバッハのオルガン曲みたいだ。『プレリュードとフーガ』実際に聴けば、やはり、バッハの影響を受けている。そりゃそうだ、ベートーヴェンはバッハの教材からも対位法や手法を学んでいたから。


この作品はベートーヴェンの死後に出版されているから、正確な作曲年代は分からないが、クーパー・コンペディウムでは、1794〜1795年の作曲ではないか、と言われてるだけ。それに、これらの作品も、真実の姿をしてるか?と思えば疑わしい。


研究者の手により、改竄されたり、補筆があったり、どこまでベートーヴェンの姿をしてるか分からない。


ベートーヴェンにとって、この作品は『勉強の一環に過ぎない、一つの作品として出版する必要もない』と、蔵の中にでも眠らせていたんだろう。最初の弦楽四重奏曲はフーガから着手されていたのは明らか。


ベートーヴェンのフーガは次第に弦楽四重奏以外にも練り込まれるようになり、ピアノ変奏曲『エロイカ変奏曲《プロメテウス変奏曲》』にもフーガは用いられた。次第に《交響曲 第9番 》にもフーガを取り入れるようになり、《ピアノ・ソナタ 第29番 『ハンマークラヴィーア』》や、そして、また弦楽四重奏に戻り、大規模で難解な《大フーガ 変ロ長調 Op.130》を仕上げた。



晩年にはフーガに対して高度な技術や探求心、精神性な追求を求めていた。



まさに、ベートーヴェンは若年からフーガに始まり、フーガで終わったな、と思った。