※私は特別養子縁組でここで書いている「母」は「養母」を指しますが、特に特別養子縁組関係ない記事です。※

 

私が大きくなるにつれて、いろいろな違和感に気づくようになりました。

 

母は、私が小学校低学年の時に着ていた外行きの服と、高校生の時に着ていた外行きの服が変わっていませんでした。

母も歳をとっていきます。

それに伴って服が変わっていくのは当然だと思います。

しかし、母は着るものも化粧も何も変わりませんでした。

 

あるときに聞きました。

「その服好きなの?」

返ってきた答えは

「この服大事なの。あなたのおじいちゃん(母の父)が、結婚前に買ってくれたやつで。」

そう、私の母が着ていた外行きの服の90%以上が結婚前から持っていた服でした。

母は暗い言い方をしませんでしたが、高校生の私でも母をかわいそうだと感じました。

 

母は年に1~2回しか美容室に行きません。

だから髪がひどく痛んでいました。

 

母は大学時代の友達くらいしか友達がいませんが、その友達とお茶しに行くのは年に1~2回でした。

母は友達と夜ご飯を食べに外に出たことは一度ありません。

昼にお茶しに行くときは、父の昼ご飯を用意してからしか行けませんでした。

そして、夕ご飯を作る準備があるので数時間で帰ってきていました。

 

母は基礎化粧品を満足に買うこともできず、買い物くらいの外出であれば日焼け止めしか使っていませんでした。

 

これらすべてに気づき、おかしいと感じたのは私が高校生の時です。

父から毎月もらう生活費の中で母はやりくりしていたので、母が自由に使えるお金はありませんでした。

 

それでも父は母を十分に贅沢させていると思っていました。

どんなところでか。

「冷蔵庫いいのを買ってやった」

「洗濯機いいのを買ってやった」

「圧力鍋いいのを買ってやった」

いつも恩着せがましく言っていましたが、「それは共用のものでは…」と私も納得いかず、何度か指摘したりもしました。

 

父は、24時間家にいる生活になってからも、料理や洗濯をすることはありませんでした。

たまに風呂を洗っては毎度「今日の風呂は俺が洗った」と報告してきましたが、、、

買い物の荷物持ちに散歩がてら父は母によくついて行っていましたが、母は喜んでいませんでした。

唯一家から出て一人になれる時間を侵害されて嫌だったようです。

 

こんな母を見て、なぜ母は何の見返りもない生活をしているのかと、かわいそうに思えたのを覚えています。